石橋城

いしばしじょう

《別名》 弾正屋敷




石橋城は奥平氏二代貞久の二男、弾正久勝が最初の城主である。久勝の子、弾正繁昌は 天文6年(1537)9月、主君への謀反が露見し、屋敷を攻められ敗北。
後年、徳岩明和尚が繁昌と一族の死を哀れみ 亀山城主四代貞勝に願い出、弾正屋敷を 貰い受けて寺地とした。

【左】慈昌院  現在屋敷跡は寺となっている。周囲よりも数メートル高くなっており、 北側から東側にかけて土塁、空堀が残る。


『石橋城要図』


<場所>愛知県新城市作手清岳
<行き方>国道301号道の駅「つくで手作り村」の正面
<駐車場>道の駅 10台以上
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『作手村誌』1982年、「作手戦国絵巻 歴史の小径」 (作手村の案内パンフ)
<参考サイト>城跡巡り備忘録」 「近江の城郭


【左上】慈昌院正面  国道に面した部分は空堀の痕跡があるだけである。また、西側の道路部分も 空堀をつぶしたと思われる。
【中上】境内  約40m四方の内部には遺構は残っていない。
【右上】北側土塁  土塁の外側には良好に空堀が残っている。


〜感想〜
約40m四方の単郭だったとすると、奥平一族ではあるがそれほどの有力者ではなかったと思われる。 しかし、亀山城の西側300m程の所に位置し、亀山城とは指呼の間である。


作手村観光協会のパンフレット「作手戦国絵巻 歴史の小径」には、 塞之神文殊山川尻古宮亀山、 石橋の6城が掲載されており、 地形図、縄張図付きと大変重宝しました。
私は道の駅「手作り村」で入手しました。城は観光コースになっており、案内板も出ている為、 かなり楽な城巡りができます。


城館探訪〜その他の県〜へ戻る