上条城
じょうじょうじょう

《別名》 新潟県柏崎市上条



―歴史―

上条上杉氏は越後守護3代上杉房方が鵜河荘の中央に位置する当地に居館を構え、末子清方をおいたことに始まる。 永享の乱後、宗家山内上杉氏(上杉憲実)を継いで関東管領となった上条清方、越後守護8代・10代を継いだ房定・定実も上条上杉氏出身。
一方、上条氏は守護上杉家のため、守護代長尾氏とたびたび戦っている。享禄3年(1530)に上条定憲は守護上杉定実を擁立して上条城に立て籠り、長尾為景に対抗した。天文5年(1536)の上条の再乱において為景の本拠地 春日山城へ向かい、激戦を展開したが敗死、上条氏は断絶した。
その後上杉謙信の命を受け、能登国七尾城主畠山義忠の子義春が再興し、上条政繁と称した。
上条城は慶長5年(1600)の上杉遺民一揆の際、上杉氏の残党に攻略され、以後、廃城となった。

【上】主郭 現在は公園跡と畑地跡、のような状態。江戸時代の安永年間(1772〜81)頃に記された『越後国刈羽郡鵜川庄黒滝村鑑』の中で、上条城は現在畑、堀は田地である、と報告されている。明治期には小学校が建てられていた。

【左上】二の郭より主郭の切岸 二の郭は藪化しており詳細は不明。主郭との間に堀跡が確認できる。鳴海忠夫氏の縄張図によれば、主郭から二の郭に降りる道が「坂土橋」と称されているが、後世に造られた道の可能性もある。
【右上】東側堀跡 現在も城域を囲んでいた堀の痕跡が一部分確認できる。

―感想―

時期的に藪化が激しく、全体をみることができなかった。主郭部分はかなり改変されたようであるが、かつて多量の須恵器や青磁・古瀬戸や石臼などが採集されたという。二の郭との間の堀跡は南側半分が確認できる。


行き方 国道353号線より、上条集落センターを目指す
駐車場上条集落センター駐車場借用1台
撮影日2010年9月
更新日2013年11月13日
参考文献 ・『日本城郭大系』7巻
・『日本歴史地名大系』新潟県
・鳴海忠夫「柏崎市上条城跡―採集遺物の資料紹介を中心として―」(『長岡郷土史』32、長岡郷土史研究会、1995年)
・西澤睦郎「謙信と越後の領主」(池享・矢田俊文編『定本 上杉謙信』、高志書院、2000年)
参考サイト埋もれた古城