樺沢城
かばのさわじょう

《別名》 新潟県南魚沼市樺野沢



―歴史―

樺沢城の築城年代は定かではない。戦国期、上田長尾氏当主房長の時には栗林房頼、政景の時には栗林政頼が在城したという(『南魚沼郡誌』)が、史料上では確認できない。
天正6年(1578)3月、上杉謙信が死去した後、上田長尾氏出身の景勝と、小田原北条氏出身の景虎による跡目相続争い(御館の乱)が勃発した。 景虎を支援するために小田原北条氏は上田荘へ侵攻し、樺沢城を攻略した。北条軍はここを拠点に春日山城方面へと進軍していった。 同年末、北条軍は雪による足止めを嫌い、一部の兵を残して関東へ引上げた。
翌7年1月末、景勝方が反撃に出て、2月3日に落城した。
その後、再び上杉氏が樺沢城を利用していたようだが、慶長3年(1598)、景勝の会津移封とともに廃城になったと考えられる。

【上】主郭から東側の眺め 上田荘といわれる上田長尾氏の本拠がこの一帯である。足下には中世の関東街道(三国通り)と裏往還高田街道(六箇越え)が通り、交通を監視するには絶好の地となっている。

【左上】横堀 城域の東から南側にかけては横堀が通っており、緩斜面部分の防御となっている。
【右上】主郭下の帯曲輪から二の郭方面 遊歩道が整備されているが、季節的に藪化していたため、城の輪郭がわかりずらかったのは残念。


【左】主郭から坂戸城方面の眺め 樺沢城から北東へ約8kmの位置に上田荘の中心地である坂戸城がある。


―感想―

横堀・堀切など普請の規模が大きく、主郭の背後に続く尾根を断ち切っている畝状竪堀も見ごたえがある。
また、東側の線路を越えて根古屋が続いており、「黒金屋敷」「宮島屋敷」など上田衆の家臣の名前が付く当時の地名が残っている。
今度は藪の少ない時期に行ってみたい城である。


【左】龍澤寺(りゅうたくじ)
樺沢城の登り口にある。本尊の文殊菩薩は景勝の母仙桃院(上杉謙信の姉)ゆかりの品。 永禄10年(1568)、厨子入りの文殊菩薩を奉納し、祈祷仏供米料として50石を寄進した。


弘治元年(1555)11月27日、樺沢城下にて景勝が誕生した。景勝誕生の時の胞衣が樺沢城内に胞衣塚(安産の宮)として祀られている。(現地案内板)


【左】雲洞庵(うんとうあん)
坂戸城南山麓にある曹洞宗寺院。
13世通天存達和尚は上田長尾氏の出身で、当主長尾政景が死去した後、一子景勝を引き取って雲洞庵で教育、直江兼次も少年期にここで学んだという。

宝物館には上杉景勝・直江兼次の書状のほかにも、雲洞庵の寺領に関する台帳や上葺萱に関する台帳があり、中世の上田荘内の状況が垣間見られる。

行き方 国道17号、南田中交差点を西へ。上越線の線路を越えて龍澤寺をめざす。
駐車場龍澤寺奥に路駐
撮影日2010年9月
更新日2013年11月11日
参考文献 ・『日本城郭大系』7巻
・『塩沢町史』資料編上巻・通史編上巻 
参考サイト埋もれた古城