鎌刃城

かまはじょう




鎌刃城は鎌倉時代に箕浦庄の地頭であった土肥氏によって築かれたとされる。
その後、堀氏が入り浅井氏の勢力下に置かれたが、元亀元年(1570)、同族の樋口氏とともに 織田信長に降った。
浅井氏滅亡後、堀、樋口両氏も粛清され、鎌刃城も破棄された。
近年、大規模に発掘調査が行われ、中世山城においては、かなり先進的な造りであったことが わかってきている。
<場所>坂田郡米原町番場
<行き方>国道21号樋口西信号を南へ
番場宿手前の信号を左折 約1q先 案内板を左折
林道を約4q 左側に入口案内板有り
<駐車場>入口付近に駐車スペース有り 1台
<撮影日>2004年9月

【上】主郭北側虎口  内桝形が形成され、石段、石垣によって造られている。 小谷城の黒金御門を彷彿させる。

【左上】水の手  林道に面した菜種川の青龍の滝から木樋によって、城内に引き入れていたという。
【中上】切り通し  登山道を登って尾根に出たところ。番場から武奈へ抜ける幹道の切り通しで 堀切としても利用されている。城域最南端部になる。
ここから尾根上を北へ、7条の堀切がある。また、尾根は狭く両側が絶壁となっているため、鎌の刃の様な 印象を受けることが、鎌刃城の名前の由来ともいわれる。
【右上】土塁上より副郭  南側最初にある郭で、南端には土塁がある。 礎石と思われる石材の散材状況から礎石建物があったといわる。

【左上】主郭  地山を削りだした土塁に囲われ、その土塁を石垣によって補強している。 当時の土塁(石塁)の高さは4m程あったといわれる。郭内部には主殿の一部と思われる建物礎石が 発掘された。
【中上】主郭南側土塁  ブルーシートに覆われ、発掘調査中のようである。
【右上】主郭北側虎口  石垣によって内桝形が形成され、礎石建ちの門跡も検出された。 また、虎口に至る通路遺構も明らかになり、かなり本格的なものであったようだ。 中世城郭では、他に確認された例はほとんど無いという。

【左上】主郭から北側の眺め  北側下方には東山道が通り、さらに北近江、南近江の境界という 要衝の地にある。浅井氏の境目の城であった。
【右上】北郭  尾根の北端部に位置し、番場集落から登ってくると最初に出る大手郭にあたる。

【左上・右上】桝形虎口  北郭の東側についている。主郭にある桝形と同じ様な造りで、こちらは大手門に相当する。 保存整備を行い、一部想定復元もしている。

【左上】櫓跡か  北郭の北端部は主郭、副郭と同じく、削り残して造られた土塁がめぐらされている。 発掘調査によって大規模な礎石建物跡があったと想定され、半地下式構造の櫓があったと考えられている。
中世の山城としては、かなり先進的である。
【中上】櫓下の石積み  一部であるが、補強の為に使用したと思われる石積みが確認できる。
【右上】大堀切  城域北端部には大規模な堀切があり、その上に櫓が建っていたことになる。 相当の威圧感があったであろう。


【左】林道からの登り口
林道は狭く1車線道路である。
番場集落からの道の他に、米原インター脇のアイリスオーヤマの工場前の道を進むと 林道になり、約6q、峠を越えた所に右斜め後ろに接続している林道がある。 ここを入るとすぐに同じ所にでる。遠回りだが、こちらのほうが幾分道幅は広い。

鎌刃城は集落からはかなり奥に入った所にあり軍事色の強い城である。



城館探訪〜その他の県〜へ戻る