亀山城

かめやまじょう




奥平氏は貞俊の時に上野国甘楽郡岩井村奥平郷から作手に移り、最初 川尻城に城を構えた。
奥平氏の勢力が伸張していくにしたがい、川尻城では手狭になってきたため、亀山城を 応永31年(1424)築城したと思われる。
以来165年間にわたり奥平五代が居城。天正18年(1590)関東移封により一旦廃城となる。
六代信昌の四男忠明が祖父家康の養子となり、慶長7年(1602)先祖の地である作手一万七千石で亀山城に入った。 在地8年で伊勢亀山五万石の城主に移封され廃城となった。

【左】西側下より  比高20m、城域北面は急斜面となっており、幅の狭い腰郭が確認できる。

『亀山城要図』


<場所>愛知県新城市作手清岳
<行き方>国道301号から県道437号へ入り、約300m先右折
<駐車場>10台以上
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『日本城郭大系』9、『作手村誌』1982年、「作手戦国絵巻 歴史の小径」 (作手村の案内パンフ)
<参考サイト>城跡巡り備忘録」 「近江の城郭


【左上】本丸南側の切岸  南側には空堀が廻らされていたようである。堀の外側には南、東曲輪があり、緩やかな 斜面を防御していた。
【中上】二の丸北虎口  二の丸は虎口が南北にあり、北虎口は坂道となっており折れを持っている。 南虎口は空堀に通じている。
【右上】本丸  東西に虎口を持ち、周囲は土塁が囲んでいる。周囲の曲輪に比べ圧倒的な広さを持っている。

【左上】本丸西側虎口 内側より西曲輪方面  現在は空堀と西曲輪の境がはっきりしないが、当時は土橋で空堀を渡ったところに 西曲輪があったようである。
【中上】本丸外の空堀  南側部分は空堀がはっきりと残っている。
【右上】北西方面の眺め  清岳の集落を挟んで反対側の山地尾根上には 文殊山城塞之神城がある。


〜感想〜
現在の遺構は慶長年間の忠明時代のものであると思われ、土塁、堀等の普請が非常に大規模に行われているのが わかる。ただ石垣は使用されなかったようだ。中世から近世城郭への過渡期にあたる城のようである。
南側駐車場の脇には屋敷跡という案内板が立っており、また東側の林にも削平地がある。東から南にかけての 周囲に城域はもっと広がっていたのかもしれない。


作手村観光協会のパンフレット「作手戦国絵巻 歴史の小径」には、 塞之神文殊山川尻古宮、亀山、 石橋の6城が掲載されており、 地形図、縄張図付きと大変重宝しました。
私は道の駅「手作り村」で入手しました。城は観光コースになっており、案内板も出ている為、 かなり楽な城巡りができます。


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