神岡城

かみおかじょう




神岡城は現在の名前であり、昭和45年6月に三井金属鉱業が記念として城跡に模擬天守を 造ったことによるもの。
元々は江馬館、東町城などと言われ、江戸時代に書かれた「飛州志」には「江馬之御館」と 書かれている。
永禄年間に武田信玄が越中攻めに備えて、重臣飯富(山県)昌景を送り込み、江馬氏に 命じて築城させたものといわれる。
武田、織田氏が滅亡した後、羽柴秀吉が天正13年に金森長近に飛騨攻略を命じ、三木氏を滅ぼし 飛騨に入国。家臣山田小十郎が守備した。江戸時代になり元和元年幕命により取り壊された。
<場所>飛騨市神岡町江馬町
<行き方>国道471号から神岡中学校方面へ入り北側
<駐車場>10台
<撮影日>2004年7月

【上】現在は天守、門、塀などが建っている。空堀は残存していたというが、 現在見られる堀がそのままの状態なのかはわからない。中へ入るには 郷土館、鉱山資料館、神岡城(鉄筋コンクリート造り)のセットで450円を支払うことになる。 ちなみにこの2日前に行った朝倉氏一乗谷にある、資料をもとに忠実に復元された武家屋敷群 等復元街並みと資料館がセットで230円。とても入る気にはなれない・・・
しかし、町の史跡に指定されたのが昭和33年とあるのだが、模擬天守を建築させたのは どういうことなのか?

【左上】南側空堀  【右上】東側(正面)空堀
西側下を流れる高原川の段丘上に造られているので、西側は断崖となっており、 残る三方向を空堀で防御する。

【左上】西側の眺め  高原川に沿って飛騨の山間に越中東街道がはしり、富山県へと抜ける。 上流方向へは安房峠へと通じ長野県に出る。武田軍もこの進路で来たのであろう。
【右上】外堀(南東側)の一部か  外側に残る空堀でおそらく外周を取り囲んでいたのであろう。 城域東側は宅地になっているので、消滅している。

ここから南東へ約1qの所に江馬下館があり、 「飛州志」では現神岡城「御館」に対し「下館」とよんでいる。 現在下館は史跡公園化の工事中。



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