観音寺城

かんのんじじょう




観音寺城は近江国守護佐々木六角氏の居城である。佐々木六角氏がいつ頃観音寺城を築いたのかは 明らかではないが、文献では建武2年(1335)に佐々木氏頼が 北畠顕家軍を阻止しようとして、観音寺の城郭に立てこもったという太平記の記述を初見とする。
その後、大永の末年から享禄年間(1528〜32)にかけて、大改修が行われ、居城としての 体裁を整えたと考えられている。
しかし、永禄11年(1568)、将軍足利義昭を擁して京都へ上ろうとした信長の通過を拒否した 為に信長に攻撃され、観音寺城は戦闘を交えることなく落ちてしまった。
<場所>蒲生郡安土町石寺
<行き方>国道8号より西老蘇を過ぎたら北へ 石寺集落目指す
<駐車場>石寺楽市駐車場借用
<撮影日>2004年9月

【上】石寺手前より観音寺城  繖山(きぬがさやま)南側山腹一帯に築かれた、戦国時代屈指の 巨大山城である。

【左上】御屋形  麓にある居館跡。現在天満宮の社がある。
【右上】御屋形下の石垣  いつ頃のものかはわからないが、かなり古そうな感じだ。

【左上】大手道  石寺の集落からまっすぐに道が延びている。途中で大手道は藪の中・・・ ここからは右側の石段が山腹の観音寺まで続いている。観音寺まで約20分。
【中上】観音寺  観音寺城の散策基点になる、山腹の中心部。どこから上ってくるのかは確認していないが、 車で上ってこれるようで、少し東側に駐車場がある。
【右上】観音寺から南側の眺め  直下に東山道が通る要衝の地である。中央右側が城下町である 石寺新町(現在の老蘇集落)で日本初の楽市が行われたという。

【左上】本丸  観音寺から北西へ山腹を移動していくと、西側の尾根に本丸がある。山上とは 思えない石垣で囲まれた広大な敷地だ。
【中上】本丸虎口  観音寺からとは反対側の虎口部分は観音寺城唯一の食い違い虎口となっており、 他の郭は平入りとなっている。
【右上】大夫井戸  食い違い虎口の外側下にある井戸で、周りを石垣で囲っている。

【左上】伝平井丸虎口  平井氏の居館跡と推定されている郭で、本丸下の尾根上にある。 中世の山城だとは思えないような風景。
【中上】伝池田丸虎口  平井丸のさらに一段下の郭で、この西側尾根上の郭が観音寺城の 中心部となる。さらに山頂部、観音寺周辺の山腹、東側尾根と大小の郭が石垣を持ちながら連なる。
【右上】池田丸西側下の石垣  城域外側となる部分。

【左上】本丸上部堀切部分の石垣  本丸から尾根を上部に向かっていくと堀切が有り、 武者走り状の土塁が山頂へと続く。ただし未整備のため藪の中を行くことになる。内側には郭が確認できる。
【中上】観音寺城頂上部の郭  伝沢田邸の部分だが、現在は電波塔と建物がある。この部分にも 城域を囲むように尾根上に土塁が続いており、東側尾根上は遊歩道となって整備されている。
【右上】繖山山頂より安土城方面  沢田邸裏の 尾根道から北へと山道が分かれており、 そこから5分程で山頂。途中に堀切が数条確認できる。ここから北西に安土城のある尾根が 下方に見られる。

【左上】東側尾根上  遊歩道があり両側は急斜面。城域側には所々に石垣がある。城域外側には 郭は確認できない。
【中上】佐佐木城址の石碑  尾根をさらに下ってくると背を向けて建っている。この付近は 岩場で、直下に奥の院の祠がある。
【右上】伝馬場邸  石碑から少し戻るように城域内側へ下った所にある。写真はさらに奥に進んだ 所にある石垣で、この部分は結構大規模に残っている。

【左上】伝淡路丸  城域東端の郭で、かなり大きく、方形で周りは石垣で囲われている。
観音寺から東側の駐車場へ車道を歩いていくと、駐車場の少し手前、左側に登った所にある。
【右上】淡路丸から城域頂上部方向


今回は尾根上にある郭が中心で、観音寺付近より下部の山腹にある郭群はあまり見ることができなかった。 本来は家臣団の屋敷群が有るはずである。
藪となっていたり、竹藪がかなり密集している部分もあった為で、これは季節的なものなのか、 ただ荒れてきているのかは不明だが。



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