春日山城

かすがやまじょう




春日山城は越後守護上杉氏の城で守護代長尾氏が守っていた。戦国期になり長尾為景が永正年間 (1504〜21)に改修、拡大し、、城郭としての機能が揃っていった。
その後、為景の子景虎(謙信)の時代になると、さらに普請が進み一大城郭になっていった。
そして謙信のあと、景勝の代となり会津移封後、堀氏が入り堀忠俊の代の慶長12年(1607)に福島城 が完成した後に春日山城は廃された。
現在は城と周辺を囲む砦、堀など遺構は広大な面積に広がっており、だいたいの所を見るだけでも2日は 欲しい所だ。
<場所>新潟県上越市中屋敷
<行き方>県道63号春日山町を西へ春日山神社目指す
<駐車場>春日山神社付近に計50台
<撮影日>2003年8月


三の丸とその北端にある土塁  春日山神社やその周辺の見所スポットにはかなり詳しい案内パンフが 必ず置いてあるので、まずそれをもらってからコースを決める。
最初に行ったのは三の丸。ここには上杉三郎景虎屋敷があった。北条氏康の子で人質として来たが、 謙信から景虎の名を与えられた事からもわかるように、かなり可愛がられたようだ。
謙信亡き後、景勝と跡目争いをし(御館の乱)敗れ自害した。

【左上】二の丸 本丸の直下に帯郭状にある。  【右上】天守台 本丸とほぼ同じ高さで堀切を挟んで並んでいる。

【左上】天守台より本丸 間に堀切があり堀はそのまま二の丸への道となっている。
【右上】本丸 24*36mの方形で、それほど広くはない。平時はもっと下の屋敷に居たのであろう。


刀八毘沙門とかかり乱れ龍
謙信の旗として有名 あちこちで見られる。

【左上】毘沙門堂(復元)謙信は出陣前ここに籠もって策を練った。
【右上】春日山神社からの登り口 搦め手になる ここから本丸までまっすぐ行って15分


春日山神社の北側下にある「お屋敷」
城の北側には帯郭が段々に並んでいて、その中で一番大きい郭。ここらへんは普通の観光客は入ってこない為、 山城らしい雰囲気が残っている。この郭の南端に黒金門があったらしいが、遺構は残っていない。

大手道  【左上】真の真ん中 小高い所が番所跡。 【右上】復元された大手道。
大手道入り口に看板があり(県道から春日山神社に行く途中)そこから本丸まではゆっくり見ながら行くと、 40分以上はかかる。

【左上】景勝屋敷 本丸の南西下にある 大手道から来ると柿崎郭の上にある。
【右上】春日山神社 

城より下って600mくらいの所にある監物堀と東城砦
ここが城の一番外側になる。城の最も北になり、楼門があったとされている。ここからは本丸は見えない。

【左】春日神社 もともと山上にあったが築城に際して現在の場所に移した。春日山の名の由来になった神社。
【上】宮野尾にある虎御前(謙信の母)の墓 林泉寺の手前を北西に林道を入っていき、さらに5分くらい歩くとある。 周りは現在山林でかなり寂しい所だが、宮野尾門があった所で城内にあたる。

〜林泉寺〜


林泉寺墓所内
春日山神社より北東へ1q下った所 駐車場20台
【左】川中島戦死者供養塔 
【上】上杉謙信の墓 手前が当時の物で後ろは後世に建てた物。

林泉寺 惣門  謙信によって春日山城の門を移築したもの。
林泉寺は謙信が7歳の時から学問を学んだ所で、六世天室光育大和尚のもとに厳しく薫陶を受けた。
ここには宝物館があり謙信ゆかりの物が並んでいる。



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