片倉城
かたくらじょう

東京都八王子市片倉町



―歴史―
築城時期については、@応永年間(1394〜1428)に大江師親(毛利元春)が在城した説、A広園寺(市内山田町)や斟珠寺(市内片倉町)の草創に深く関わる長井氏が15世紀後半に築城したとする説、B縄張りの技法から北条氏の築城とする説がある。
@は伝承とみられ、Bは城の最終形態から推定した説であることから、現在ではAの説が有力である。

―立地―
城域の北に湯殿川、南に兵衛川が流れ、その合流地点である小比企丘陵東端の台地上に位置する。その麓には鎌倉街道(川越道)が南北に通っていた。
『新編武蔵風土記稿』では、「城の東南北の三面は沼」「西には侍の屋敷町があったという」と書かれている。さらに片倉村全体の鳥瞰図が掲載されており、その中で片倉城が描かれている。

【上】北側の台地上からみた片倉城
城域北側下には湯殿川が東西に流れている。

片倉城付近図(現地案内板)


―現況―

【左上】二の郭西側の空堀
『風土記稿』では西側に大手口があったとする。現在は公園化されており、太平洋戦争時には高射砲陣地が設置されていたということで、遺構は改変もしくは消滅している部分もある。

【右上】二の郭
東西約90m・南北約120mの広大な平地となっている。

【左上】主郭・二の郭間の空堀
主郭・二の郭全体を空堀が取り巻き、郭間のものは「折れ」をもつ。

【右上】主郭
約50m四方。

【左上】主郭北東下の住吉社
現在は腰郭状になっているが、おそらく空堀を改変したものであろう。

【右上】城域南側の空堀
堀の外側が犬走り状になっており、二の郭南側に接続している。

【左上】城域南西隅の櫓台から西側の眺め
西側台地上に突き出た形で櫓台がある。周囲よりも高くなっており、全体が見渡せるはずであるが、現在は薮に覆われている。

【右上】城域西側から二の郭方面の眺め
西側には耕作地が広がっている。『風土記稿』では侍の屋敷町があったという伝承が記されている。また、研究者によっては、空堀跡の痕跡が確認できることから、三の郭が存在したとする。

【左上】八王子市街方面の眺め
中央奥にみえるタワーマンションのある場所が八王子駅南口。八王子のランドマークとなっている。

【右上】城域北側
北側の周辺は『風土記稿』において沼地と記されているが、公園化された現在も池や菖蒲田が広がり、その痕跡を残す。



【左】城域南側
現在は廃寺となった来光寺の痕跡と思われる無縫塔が並んでいる場所。その下方にある祠の前には宝篋印塔の一部などが無造作にころがっている。

―感想―

八王子市内には八王子城滝山城などの巨大な城があるため、あまり目立たないが空堀の規模が大きく、その普請も巧妙・複雑なもので興味深い。 片倉城の東には鎌倉街道を挟んで子安台遺跡という砦跡の伝承をもつ場所がある。発掘調査が行なわれており、中世城館に関係する遺構が確認され、青磁・白磁、板碑24点などの遺物も見つかっている。
また、片倉城の北東約1qに「七日市場」の地名があり、周辺を含めて注目すべき地域である。



行き方 @国道16号沿いに駐車場あり。 A国道16号片倉町交差点を西へ。つどいの森入口信号を南へ入って、片倉つどいの森公園へ。駐車場から徒歩で東へ約400m。
駐車場@片倉城跡公園駐車場 10台以上 A片倉つどいの森公園駐車場 10台以上
撮影日2013年11月、2015年11月
更新日2015年11月15日
参考文献 『日本城郭大系』5
『新八王子市史』資料編2中世
参考サイト八王子市HP 片倉城跡公園
余湖くんのホームページ