川尻城

かわじりじょう




川尻城は応永31年(1424)に奥平貞俊によって築かれた。貞俊は天授年間(1375〜80)に 上野国奥平郷(群馬県吉井町)から来て、最初に居城としたところがここであった。
しかし、奥平氏の勢力が増大するにつれ、手狭になったために数年後には 亀山城に移った。

【左】川尻城 西側より
ほとんど独立した小山となっている。頂上部に主郭があり、周囲に帯郭が確認できる。
現在は公園の一部となっている。

『川尻城付近図』


<場所>愛知県新城市作手高里
<行き方>国道301号作手総合支所東信号を東へ 案内板に従い作手高校の裏手を通り約1q
<駐車場>南側、北側麓に駐車場有り 10台以上
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『作手村誌』1982年、「作手戦国絵巻 歴史の小径」 (作手村の案内パンフ)
<参考サイト>城跡巡り備忘録」 「近江の城郭


【左上】南側帯郭  現在、ここに冠木門が建てられている。ここから東側に回り込んで主郭に入るのが大手筋か。
【右上】東側主郭方面の眺めと堀切  独立状の小山だが、東側には背後の山地につながる低い尾根がある。ここを 掘り切っており、腰郭から主郭へと入っていく。

【左上】東側背後の尾根  公園として整備されているため遺構かどうか不明だが、土塁が北側にある。
【右上】主郭  南北約40m、東西約70mの広さがあり、周囲には一部土塁が残る。

【左上】塞之神城文殊山城方面  南西方向、高里の集落を挟んで反対側の山地にある。
【右上】古宮城方面  古宮城も独立した丘に築かれた城であるが、 武田氏によって築城されたものである。 塞之神城から東へ下ってきた麓に位置する。


〜感想〜
奥平貞俊は数年後には亀山城へと移るが、その後も一族の者がここを守り、亀山城北方の支城としての役目を 担ったと思われる。
主郭周囲を取り巻く帯郭には土塁を残す部分もあり、空堀となっていた可能性もある。


作手村観光協会のパンフレット「作手戦国絵巻 歴史の小径」には、 塞之神文殊山、 川尻、古宮亀山石橋の6城が掲載されており、 地形図、縄張図付きと大変重宝しました。
私は道の駅「手作り村」で入手しました。城は観光コースになっており、案内板も出ている為、 かなり楽な城巡りができます。


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