腰越城

こしごえじょう

《別名》 根古屋城




腰越城の築城年代は『青木家家譜』によると治承4年(1180)、山田伊勢守清義が宇治川の先陣 に敗れた後、籠居するために築城したものという。その後山田氏累代の居館となった。
天文年間には松山城主上田直朝の家臣山田伊賀守直定の城であった。
東方2.5qにある青山城と共に、 松山城の支城として機能していたと思われる。
<場所>埼玉県比企郡小川町腰越
<行き方>国道254号より県道11号へ 西へ約2q
左側 総合福祉センターパトリア駐車場より徒歩
<駐車場>パトリア駐車場利用
<撮影日>2005年8月
<参考書籍>『日本城郭大系5』
<参考サイト>城と古戦場

【上】東側より見た腰越城  パトリア駐車場から本郭まで徒歩で約20分。駐車場出入口に2カ所案内板が 立っているので、それを見れば迷わず行ける。
戦前は城域南側(写真左方向)に尾根が続いていたが、石灰岩採掘のため無くなってしまったという。

『腰越城要図』



【左上】搦手部の二重堀切  東麓からの大手道は同じく東麓から登る現在のアクセス道よりも西側に位置し、 西の郭東下の帯郭に出た ようである。現在の道は本郭背後の谷筋を登り、この二重堀切部分の尾根にでる。西麓には根古屋地名が 残っており、未確認だがこの搦手の尾根を少し北へ進んでから、西へ下りる道があるようである。
【中上】本郭  搦手からだと本郭東下を回り込んで、南側の二の郭へと出てから、本郭へと 上がる。各郭の切岸は高く、城域全体の中だけで数字以上の高低差を感じる。
【右上】本郭より西側の眺め  山田氏の本拠地である安戸集落が一望できる。腰越城は その集落の入口にあたる。

【左上】西の郭  西の郭から南側は石灰岩採掘で削られ消滅してしまった。東西両側下には 帯郭がある。
【中上】西の郭東下の帯郭  大手道はここに出てきたようである。ここから本郭へは 堀切を通って西帯郭に出て、山腹の道を迂回して小口〜囮小口〜二の郭へと行くことになる。
【右上】囮小口  東帯郭から直接尾根上に出ようとする敵をこの上で叩いたのであろうか。 本道は堀切を通って尾根の反対側に出なければならないため、何も知らない敵には充分通用するであろう。


【左】横堀  二の郭の下方に腰郭があり、さらにその下方に横堀が弧を描いて通っている。 両端は竪堀と合流している。


〜感想〜
本郭へは上り下りを交えた回り道を強いられ、巧みに構成されている。竪堀も多用されており、 遺構として良好に残っている。
青山城と同様に規模は小さい城だが、見所は多い技巧的な城である。
また、戦国期の城主山田直定は青鳥城 主山田伊賀守直安の兄である。直定は永禄5年(1562) に荒川沿いの赤浜の合戦で討死したため、家督は直安が継いだ。

 


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