丸岡城

まるおかじょう




天正3年(1575)織田信長は柴田勝家に越前守護職を与え北ノ庄(今の福井市)に築城させた。 勝家の甥である柴田勝豊は豊原に豊原城を構えたが、翌天正4年、丸岡に移り築城したのが現在の 丸岡城である。
その後、城主は頻繁に変わったが明治まで続き、現存最古といわれる天守が残る。
<場所>坂井郡丸岡町霞町
<行き方>国道8号丸岡町役場方面へ入る
丸岡城 北東側に駐車場
<駐車場>大駐車場有り
<撮影日>2004年7月

【上】北側より丸岡城天守  天正4年に柴田勝豊によって造られたといわれるが、裏付ける資料は 無く異説もある。ただ、建築様式、天守台の造りから初期の天守に共通する要素は持っている。


【左】丸岡城鳥瞰図  現在、堀は埋め立てられて二の丸、三の丸付近も宅地化している。本丸 は公園となり、一番の高台に天守が建つ。

【左上・右上】天守  日本最古といわれ、昭和9年に国宝指定されたのだが、 昭和23年福井大震災により倒壊。天守部分はほとんど元の材料を使って復元されたが、 天守台の石垣部分も倒壊したため、この部分に関しては復元は不可能であった。 その為であろうか昭和25年に重文指定はされたのだが、国宝になることはなかった。

【左】天守内部  【上】石瓦と本丸  二層三階で屋根には石瓦を葺いている。福井産出の凝灰岩で「笏谷石(しゃくだにいし)」 といわれるものを瓦の形に加工したもの。下に見える緑地が本丸部分。

【左上】石製鯱  元々は木彫銅板張りであったものを、昭和15〜17年の修理の際に、石製に 改めたもの。当時は戦時中で銅板の入手が困難であった為、屋根瓦と同じ 石材を利用した。昭和23年の福井大震災により これも落下し現在は天守下に展示されている。
【右上】天守郭 南側下石垣  この部分は震災の際にも崩れなかった所。天守台石垣と比べると、やはり 年季が入っている。

【左上】本丸  天守より少し北側へ下がった所にあり、現在は公園となっている。
【中上】本丸西側下石垣  二の丸へ降りていく道にある石垣で、おそらくここも古い部分と 思われる。
【右上】本丸東側下より  駐車場の部分は堀だったところ。正面上部が本丸。


【左】現在の丸岡城
徳川家康譜代の家臣、本多作左衛門重次が 長篠・設楽原の戦いの陣中より妻へ送った 「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」と書き送った中で、文中のお仙とは 嫡子仙千代で、丸岡城6代目城主、初代丸岡藩主となった本多成重のこと。
丸岡町では毎年日本一短い手紙と題して、手紙を募集しコンテストを開いている。



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