松山城

まつやまじょう




築城年代は定かではなく、鎌倉時代に新田義貞が仮の要害を構えた説、応永6年(1399)の上田左衛門尉友直説、 応永23年の上田上野介説などがある。
この城が有名になるのは天文年間から永禄年間(1532〜1569)の北条、上杉、武田氏の争奪戦からである。 そして豊臣秀吉の北条氏征伐により、天正18年(1590)に前田利家、上杉景勝等の大軍に囲まれて落城した。
北条氏の時代以降、現在の遺構よりもさらに大きい城域を誇っていたが、昭和40年代の経済成長期に 破壊されてしまった。しかし現在も本丸、二の丸、三の丸を中心に大小の郭が周りを囲んでおり、 それぞれ郭間には深い堀が巡らされている。特に本丸と二の丸の間の堀は高さ10m、幅15mくらいあり、 当時は水堀であったらしく、その遺構は大きい。
また松山城のすぐ北側に吉見百穴という古墳時代の横穴墓群があり、信玄がそれを見て城に向かって 穴を掘って攻め込もうとした話がある。(だが当時はほとんど埋まっていただろう)


<場所>埼玉県比企郡吉見町北吉見
<行き方>国道407号バイパス東松山駅入口信号を
反対側に曲がる 市野川を渡った所が登り口
<駐車場>無し 吉見百穴の駐車場を利用
<撮影日>2003年6月

【上】本丸 現在メインの入口は城の南西部にあり、ここを5分程登るとすぐ本丸。 郭上は平坦であるが物見櫓のあったらしい部分が高くなっている。(現在そこに碑が建っている)


【左】櫓台 本丸の北東隅にある  【上】二の丸 本丸をコの字型に囲んでいるが、堀の折が結構 複雑にできている。

【左上】春日丸 二の丸の東にあり、三の丸と挟まれている 藪になっており詳細は分からず。
【右上】市野川の先が東松山市街。

【左】岩室観音堂登り口の上より かなり急な道で上には両側に平場が有り守りは堅い。
【上】兵糧倉 本丸のすぐ北に位置し、郭の中でもかなり大きい。


〜吉見百穴〜

吉見百穴  松山城のすぐ北に位置する有名観光地
古墳時代後期(約1300年前)の横穴墓群で現在219個有り、規模は日本最大級との事。 下の方にはヒカリゴケが自生している穴があり見ることができる。
また、太平洋戦争中は軍事地下工場が造られ、その跡も公開されている。

【左上】百穴正面  【中上】穴の中で一段高い所に遺体を安置した  【右上】戦時中の地下工場跡


オマケ   岩窟ホテル跡
現在は営業していないが、この土地を持っていた人がコツコツ掘って部屋を造り、ホテルとして営業 していたそうだ。20年くらい前に閉鎖。営業当時の写真が吉見百穴の売店兼資料館で見られる。
この上は松山城の郭だ!


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