真弓山城

まゆみやまじょう

《別名》 足助城、松山城




鎌倉時代に飯盛山城を本拠とした足助氏が、その一族を配したといわれるが定かではない。
室町中期以降、西三河の山間部に勢力をもっていた鈴木氏が、ここを本城として勢力を張った。 鈴木氏がいつ頃足助に入ったかは不明であるが、16世紀に入ると岡崎の松平氏との間で従属離反を繰り返す。
天文23年(1554)5月9日、今川氏が真弓山城を攻め、城主鈴木重直は降伏した。その後の重直が どうしたのかははっきりしないが、永禄7年(1564)10月6日、家康が真弓山城を攻め、それ以降重直は 旗本となり、有力な国衆として働くこととなる。
元亀2年(1571)4月15日、武田軍による攻撃で重直は岡崎へ逃れた。信玄は伊那の下条伊豆守信氏を 城代として入れ、天正元年(1573)武田軍が撤退するまで2年間、足助は武田の支配下となった。
【上】真弓山城 南側より  現在、城域中心部は発掘調査が行われた後、建物など復元整備された。 そのため、入城料300円を払って内部を見学することになる。

『真弓山城要図』


<場所>愛知県豊田市足助町足助
<行き方>国道420号足助中学校南側を入る(案内板有り)
<駐車場>10台以上
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『足助町誌』1975年、 「城跡公園 足助城」(真弓山城案内パンフ)
<参考サイト>城跡巡り備忘録」 「近江の城郭


【左上】南の丸 虎口  南の丸は現地解説板によると建物跡、カマドに使われた石や炭などが発掘により見つかっており、 台所の役割を持っていたという。
【右上】本丸より南物見台  本丸南側に位置し、南方がよく見通せる。

【左上】本丸  発掘調査に基づき、掘立柱の高櫓と長屋が復元されている。
【中上】足助の町並み  岡崎、名古屋への街道を望むことができる。
【右上】信州方面の眺め  伊奈街道、美濃街道方面を望む。


〜感想〜
信濃、美濃方面と三河、尾張方面を結ぶ街道筋の要衝の地である。現在整備されて見学できる部分は中心部分だけで あるが、 城域は麓部までかなり広がっているようである。ただ、柵によって立ち入ることができないのが残念。



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