文殊山城

もんじゅやまじょう

《別名》 一夜城




築城年代については定かではないが、 伝承によると元亀年間(1570〜72)に奥平氏が武田氏との和睦の証として、 塞之神城とともに 築く筈であったが、延引したため武田氏より強談に合い、一夜にして築いたので一夜城とも呼ばれる。


【左】川尻城より文殊山城方面  作手村の谷を挟んで反対側、 北東方向にある川尻城からの眺めで、 文殊山城から尾根上を東へ約1q行くと、塞之神城がある。


『文殊山城縄張図』


<場所>愛知県新城市作手清岳
<行き方>国道301号作手総合支所東信号を西へ 約300m先左折 (文殊山城方面案内板有り)
約1q先林道突き当たり
<駐車場>林道突き当たり 路駐
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『作手村誌』1982年、「作手戦国絵巻 歴史の小径」 (作手村の案内パンフ)
<参考サイト>城跡巡り備忘録」 「近江の城郭


【左上】主郭南西側下  主郭部には模擬櫓が建っており、作手の中心部が一望できる。
【右上】主郭  櫓より撮影。周囲は土塁に囲まれている。 中央に文殊堂が建っていることから、文殊山城と呼ばれていると思われる。

【左上】主郭東側下  主郭周囲は切岸、帯郭が廻らされているが、帯郭外側に土塁を伴っている部分もある。
【右上】北東側の堀切  塞之神城へと行く道が続くところで、土橋は遊歩道が整備された際に造られたものか、 拡張されているようだ。


【左】作手村 亀山城方面の眺め


〜感想〜
奥平氏の本拠である亀山城 とは清岳集落を挟んで相対しており、亀山城が築城された応永31年(1424)頃に 築城された可能性も『作手村誌』で指摘されている。
山頂部を削平し、土塁、切岸などの普請を行った簡単な構造だが、その規模は大きい。武田氏時代以降にも手が 加えられた可能性もあると感じた。
作手村観光協会のパンフレット「作手戦国絵巻 歴史の小径」には、 塞之神、文殊山、 川尻古宮亀山石橋の6城が掲載されており、 地形図、縄張図付きと大変重宝しました。
私は道の駅「手作り村」で入手しました。城は観光コースになっており、案内板も出ている為、 かなり楽な城巡りができます。


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