苗木城

なえぎじょう




恵那地方一帯は岩村遠山氏が岩村城を 中心として鎌倉時代より勢力を維持していた。 しかし応仁の乱の時、足利義政は 信濃松尾城主小笠原家長、 木曽家豊に命じて恵那、土岐両郡に 侵入させ、文明5年(1473)から天文元年(1532)の数十年間は小笠原氏が 恵那郡内を占領していた。
しかし、大永、天文年間の頃に小笠原家に内紛があり、天文3年に小笠原家は一度滅びている。 この結果、小笠原氏の恵那における勢力が弱まり、遠山氏が盛り返してきた。 この頃に遠山氏が苗木城を築いて旧領回復の一旦を担ったという。
その後織田信長が岐阜に入ると遠山氏は信長の勢力下に入り、元亀3年(1572)の 武田信玄家臣、秋山信友の美濃侵攻の際には、岩村城、 明智城は落城したが、 苗木城は守られた。
本能寺の変後、森長可の手に渡り、弟の忠政、さらに川尻直次のものとなった。
関ヶ原の戦い以後は遠山氏が復帰して、明治に至った。
【上】木曽川より苗木城の眺め  木曽川のすぐ北側に位置する。川の南側に中山道、北側に飛騨路が 通り一望できる交通の要衝にある。

<場所>中津川市苗木
<行き方>国道257号城山大橋北側 苗木遠山史料館方面へ
史料館裏手の道を約200mで駐車場
<駐車場>10台
<撮影日>2004年6月


【左】風呂屋門跡  駐車場から入ってすぐの所。手前には足軽長屋、稽古場などの建物があった曲輪 がある。
現在残っている遺構は近世に入ってからのものである。

【左上】風吹門跡  城下から三の丸への出入り口で大手門ともよばれていた。
【右上】大櫓  風吹門の隣り、北門の近くに位置しており、それらの防衛の為に築かれた。 当時は城内最大の二層三階建ての櫓が建っていた。自然の巨大な岩を上手く取り込んでいる。

【左上】大櫓より本丸方面  櫓のある平場が三の丸で、そこから見るとさらに小山の頂上が 本丸となる。
【中上】大門跡  三の丸と二の丸とを仕切るこの門は城内最大の門であった。入ってすぐ左手に 御朱印蔵跡(写真中央下)があり、重要な文書や刀剣類が納められ、 切込はぎできっちり積まれた石垣の上に建てられていた。
【右上】坂下門跡  ここの門から小山を登って行くことになる。

【左上】本丸下大手道の石垣  九十九折りの道のちょうどカーブ下部分になる。この部分の石垣は 他と違い新しい感じがする。発掘調査が行われた際に積み直したのかもしれない。写真左側は 本丸的場跡で帯曲輪となっていて、奥へと進んでいくと反対側には二の丸居館跡がある。
【中上】井戸  その石垣下にある井戸。
【右上】玄関口門  ここを登ると本丸。

【左上】本丸下より大櫓  どこか日本ばなれした風景。
【右上】本丸南虎口方面  本丸へは南側と北側に虎口がある。南側には巨大な岩がいくつもあり、 その間に石垣を連ねている。

【左上・右上】本丸  頂上部の削平地でそれほど広くはない。まさに天空の城という感じで 晴れていたら眺めは最高だろう。
巨岩には柱の土台として使用した穴がいくつもあいており、「かけや造り」という建築法を 取っていたという。

【左上】本丸南東下 木曽川の眺め  眼下に木曽川が流れ、対岸には中津川市街が広がる。
【右上】本丸南虎口  階段による虎口でここも自然の巨岩と石垣との見事な調和がなされている。 まさにアートの世界・・・
 


【左】笠置櫓跡
本丸南西下にある削平地で、巨岩の上に櫓が建てられていたという。
ここから正面に笠置山が見えることから、笠置櫓とよばれた。

【左上】二の丸 居館跡  二の丸とよばれている場所はかなり広く、居館跡は三の丸よりも低い 位置にある。平坦地としてはかなり広い。
【中上】居館跡から坂下門側石垣  この周辺も発掘調査されたようで、水路跡など見ることが できる。
【右上】的場  苗木城には的場が本丸と二の丸の二カ所にあった。写真は二の丸の的場で、 居館跡の南側に一段低く位置する。先端部には的の土塁が残っている。

【左上】不明門跡  居館跡、的場からさらに南へ周り込んでいくと、南端部の低い所にある。 この門から外につながる道は現在確認できておらず、当時も締め切りであったという。
【中上】清水門跡  手前左側の巨岩の下から清水が湧きだしており、用水として使用されていた。 現在八大竜王社が祀られているが、これは明治以後に移設されたもの。
【右上】的場  こちらは本丸の的場跡だが頂上部に有るわけではなく、北側下に位置しており、 二の丸居館跡から南へ不明門、清水門と回ってくるとここに出る。坂下門から上がってくると 井戸のある場所になり、その反対側から来たことになる。

【左上】大手口  城域の南下、木曽川に面した位置にあり、比高約150m、急な斜面を九十九折りの道が三の丸 駈門までつづいている。
この道は四十八曲り道、大手口道といわれ参勤交代等には、この道が使われていた。三の丸まで 約15分。
【右上】大手口道の石垣  道の路肩補強の為か、この狭い九十九折りの道に、きっちりと石垣ができているのは スゴイ!

【左上】竹門  扉が竹で造られていたための呼び名だという。大手道はこの門の直前で右折し、 大櫓の脇にある北門へと回り込んでいた。しかし、竹門を通っていくと駈門(写真奥)があり、そこから 三の丸へと入ることができる。
【右上】北門  風吹門から見て北側にあるので北門という名前がついたという。東に下ると 大手口道を通って木曽川に、また北側へ行くと家臣の屋敷群へと通じていた。
 


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