長浜城

ながはまじょう




長浜はもともと今浜といい、建武3年(1336)、佐々木高氏によって今浜城が築城された のが始まりとされる。
織田信長によって浅井氏が滅んだ天正3年(1575)、豊臣秀吉は 小谷城を捨て、ここに 長浜城を築城した。
賤ヶ岳の戦い以降、柴田氏が滅んだ後の天正13年には山内一豊が入城し、江戸時代に入って 慶長11年(1606)には内藤氏が入城。元和元年(1615)に廃城となった。
その時、彦根城築城のため、 建物や石垣の石は大部分持ち去られたという。
<場所>長浜市公園町
<行き方>県道2号沿い 豊公園内
<駐車場>豊公園 大駐車場
<撮影日>2004年9月

【左】模擬天守  現在、城域は公園として整備されており、城郭の面影は無い。 所々で発掘調査は行われており、石垣などの遺構が検出されている。
公園の隅に昭和58年、模擬天守が建てられ、中は歴史博物館となっている。

【左上】本丸跡  天守の東側に碑が建っている。
【中上】石垣出土地  公園の琵琶湖畔に碑が建っている。
【右上】天守跡  現在の模擬天守の西側になる。秀吉の像も置かれている。ただ、 現在の築山は周辺の道を造った際に盛り土をしたものとのこと。

【左上】天守展望台より公園内  石垣出土地方面で、琵琶湖に面している部分だが、ごく普通の 公園。
【中上】小谷城方面  北東方向約10q先となる。
【右上】安土城方面  南西方向、琵琶湖の水平線の彼方に 安土城の山が微かに見える。

【左上】大通寺 台所門  元々長浜城にあった門といわれる。
【右上】大通寺 本堂  寺伝によると、承応年間(1652〜54)に、東本願寺から移した 建物といわれる。江戸時代にも平面を拡張したり、破風を作り替えるなど大修理を施している。

【左上】知善院 表門  長浜城搦め手門であったのを移したといわれる。
【右上】知善院 本堂  大通寺の大きさに比べると、かなり小さい寺である。


長浜城内は完全に普通の公園となっており、あまり興味はわかなかったが、城下町のほうへ 足を運ぶと昔の街並みが残っており、独特の町屋造りの家が並び、少しはずれた所に大通寺、 知善院などがある。
観光地として知られているようで、観光客の姿も結構あった。
また、少し北へ行くと鉄砲の里、国友町があり、付近の町には昔の風情があるようだ。


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