小谷城

おだにじょう




小谷城は浅井亮政が大永4年(1524)に築城したとされる。その後、六角定頼としばしば 戦うが、いずれも相手に打撃を与える程の勝利は得なかった。しかし、その間に 浅井氏は、しだいに勢力をひろげていき、小谷城も整備拡張されていった。
そして、亮政没後、久政、長政と3代続いたが、元亀3年、当時信長家臣の羽柴(豊臣)秀吉 によって落城、浅井氏は滅亡した。
その後、一旦秀吉が入城したが、堅塁の小谷城を捨て、居城を今浜(長浜)に築城した。 それが長浜城で、 小谷城にあった建物の多くは長浜城に移されたという。 現在、彦根城の西の丸三重櫓は、 小谷城の鐘丸であると伝えられている。
【上】小谷城全景  馬蹄形の尾根とその中央部の清水谷に郭が配置されていた。写真中央一番奥が 大嶽城といわれる最高所。向かって右側(東側)の尾根上に城の主要部があり、左側(西側)尾根上にも 福寿丸、山崎丸の二つの砦が築かれている。巨大な山城だ。

<場所>東浅井郡湖北町伊部
<行き方>国道365号 郡上南信号を過ぎて約200m先、 案内板左折し突き当たりが大手口
<駐車場>6台
<撮影日>2004年9月

『小谷城要図』



【左上】出丸  東側尾根の先端部にある郭で、周りを囲む土塁が確認できる。現在は林で 見通しは利かないが、東下には大手口があり、南側一帯を見晴らす事ができる位置である。
【中上】大手道途中から虎御前山  小谷城のある小谷山のすぐ南西にあり、織田信長の攻撃の 際、前線基地となった虎御前山城がある。城の定番として秀吉がいた。
【右上】金吾丸  大手口から徒歩で約20分程の所にある郭で、大永5年(1525)の 六角定頼の来攻に際して、越前より朝倉教景が来援し陣所とした。金吾とは左衛門尉(教景)の唐名。 大手口から金吾丸の先の所まで車道(伊部林道)が通っており、車で直接この先まで来られる。

【左上】番所  ここからが城の中枢部。発掘中のようで、ブルーシートで覆われている部分がある。
【中上】御馬屋  番所の上にあり、土塁で囲まれている郭。
【右上】馬洗池  御馬屋の手前、石垣で囲われた方形のもので、湧き水ではなかったが、年中水が 絶えなかったという。

【左上】赤尾屋敷  本丸の南東下部にあたる場所に重臣赤尾氏の屋敷があった。元亀3年長政は この屋敷に入って自刃した。
【中上】桜馬場  「黒金御門」手前にある郭。新しいものだが浅井氏の供養塔がある。
【右上】黒金御門  左右に石垣と石段を設けた門跡が特徴的だ。

【左上】大広間  千畳敷ともいわる城内最大の郭で、主殿の跡とされる。発掘調査が行われ、 礎石、排水溝の他、貨銭、陶器片などが多数見つかった。一番奥に切岸で囲まれた本丸 (鐘の丸)がある。彦根城 西の丸の三重櫓は元小谷城天守といわれる。大手口から本丸まで見学しながら約40分。
【中上】本丸背後の堀切  堀切と言って良いのか判断しかねるが、中の丸との間にあり、深さ約10m、 幅約15m、長さ40mに及ぶ。大広間から本丸下を通って、ここに出られる。
【右上】京極丸  中の丸を経て、段郭を登ってくると、東側に土塁がある大きい郭にでる。 それが京極丸で、大永4年(1504)に亮政が主君京極高清、高延父子を迎えた所である。 この郭の清水谷側、大野木屋敷を経て侵入してきた秀吉の軍勢によって占拠され、「小丸」の 久政と「本丸」の長政との連絡を絶たれた。

【左上】小丸  2代目城主久政の隠居所である。秀吉が京極丸まで侵攻してきた後、ここで 切腹した。
【中上】山王丸下の石垣  「小丸」奥の切岸を東側に回り込むと、巨石による野面積みの 石垣がある。
【右上】山王丸  小谷城の守護神、山王権現(現小谷神社)の祀ってあったところ。

【左上】山王丸の上より大嶽城(おおづくじょう)の眺め  大嶽城は小谷城最高所で、馬蹄形尾根の 要部分になる。
【中上】六坊  久政の時に、軍務や政務を司っていた六つの寺院をここに集めたという。 また、小谷城絵図にはここから発する山続きの道を「越前忍道」と記している。 ここの先から清水谷、大嶽城、月所丸への道と分岐する。
【右上】月所丸  「六坊」から大嶽城へ登らずに北側の道を進むと、この郭がある。土塁で囲まれた 方形の郭、さらにその先、堀切が3条確認できる。

【左上】大嶽城下から東側尾根  本丸などの主要な郭は東側尾根にある。
【中上】大嶽城  小谷城の最高所に位置する。初期の小谷城は、この地にあったという。 中央に削平地があり、その周りを土塁がほぼ二重に囲んでいる感じだが、詳細に見ると複雑な つくりをしている。「六坊」から約15分。
【右上】御屋敷  清水谷は狭小な谷で、中央に沢と道が平行して走り、 両側に家臣の屋敷跡がある。下部まで下り、平坦になったところに御屋敷跡が ある。初期の小谷城はここに居館があり、大嶽城が詰め城という形態だったのかもしれない。

【左上】清水谷入口  中央の山が大嶽城、左右の尾根が奥に延びて、馬蹄形になっている。
向かって左側(西側)の尾根上には福寿丸、山崎丸という砦が築かれている。
【右上】小谷寺  浅井亮政が祈願所とした寺で、現在は大手口南東下にある。「山王丸」に あった山王権現(小谷神社)は現在、小谷寺境内に祀られている。



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