塞之神城

さいのかみじょう

《別名》 本城・砦城




塞之神城の築城については不明なところが多い。古くは元亀年間(1570〜73)武田氏によって、 奥平氏との和睦の際、合議により築かれたともいわれ、また、奥平氏が作手に来住する以前の米福長者 時代に存在したとの推定もされている。

【左】川尻城より塞之神城方面  作手村の谷を挟んで反対側、 北東方向にある川尻城からの眺めで、 塞之神城からさらに尾根上を西へ約1q行くと、 文殊山城がある。
写真では見えないが左側に、塞之神城から集落へ降りてくると、街道を挟んで 古宮城がある。

『塞之神城縄張図』


<場所>愛知県新城市作手高里
<行き方>国道301号作手総合支所東信号を西へ 約300m先左折 (文殊山城方面案内板有り)
約600m先右カーブの所、文殊山城徒歩入口の案内板の所から東尾根へ徒歩約10分
<駐車場>路駐 1台、文殊山城駐車場から徒歩約20分
<撮影日>2006年2月
<参考文献>『作手村誌』1982年、「作手戦国絵巻 歴史の小径」 (作手村の案内パンフ)
<参考サイト>城跡巡り備忘録」 「近江の城郭


【左上】城域西側の堀切  文殊山城から尾根上を来るとこの堀切を渡り、出丸に入ることになる。
【右上】出丸  本丸の次に大きい郭で、堀切に面した部分だけ僅かに土塁がある。内部は完全に平坦地と なっている。

【左上】出丸から本丸方面への土橋  この土橋を渡って本丸下の腰郭から南へ回り込むと本丸虎口がある。
【右上】本丸  周囲は土塁で囲まれている。虎口は南側と東側にある。東側は斜面に階段状に郭があり、 結構急斜面である。ここを下っていくと古宮城に出る。


【左】南斜面の竪堀  この下に井戸跡があるが、当時のものなのかわからない。周囲はだいぶ後世の 人の手が加わっているようである。

〜感想〜
現地解説板には「主郭とその東西の虎口の部分、二の曲輪と堀切を含むその付属部分と普請の程度に 明らかな差異が見られる」とし、「二時期にわたる構築が指摘されている」という。
「二の曲輪」がどの部分なのかわからないが、出丸付近は後の時代に普請され、西側の尾根上の防備を 堅くした感じがする。武田氏築城とあるが、以前からあったものにいくらか普請を加えた程度 のもののようだ。武田氏時代の中心は古宮城であろうから、 その周囲を固める城の一つであったと思われる。


作手村観光協会のパンフレット「作手戦国絵巻 歴史の小径」には、塞之神、文殊山川尻古宮亀山石橋の6城が掲載されており、 地形図、縄張図付きと大変重宝しました。
私は道の駅「手作り村」で入手しました。城は観光コースになっており、案内板も出ている為、 かなり楽な城巡りができます。


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