真田庵・真田丸




真田庵は関ヶ原の戦いで西軍側についた 信濃上田城主真田昌幸、幸村(信繁)父子が紀州九度山に 蟄居を命じられた時に、隠棲した屋敷跡である。
現在は善名称院というお寺になっており、中に昌幸の墓がある。

真田丸はその後大坂冬の陣において真田幸村が 大坂城に入り、自分の思うがままに徳川家康と戦いたいと 大坂城の南側に出丸として築いた砦の通称。
幸村は大坂夏の陣において家康本陣に向けて突撃し、一時は本陣が崩れる程の活躍をしたが多勢に無勢。 華々しく散っていった。
左の写真は真田丸の築かれた跡付近(正確な位置は不明)にある宰相山公園内の真田幸村像。
<場所>真田庵 和歌山県伊都郡九度山町九度山1413
真田丸(宰相山公園) 大阪市天王寺区玉造本町
<行き方>真田庵 国道362号橋本市より九度山駅信号右折
200m先看板のある細い道右折すぐ
真田丸 国道308号空堀町信号南へ200m先明星学園手前左折
300m先右側
<駐車場>真田庵 無し 村役場に置いて徒歩5分
真田丸 無し 路駐
<撮影日>2003年7月

〜真田庵〜


真田庵の中にある真田昌幸の墓 となりには小さな神社が・・・もちろん六文銭があちこちに見られる。

左上 南門から入った所 柵の中がお墓  右上 善名称院本堂


九度山町役場からみた紀見峠方面  真田庵から密かに抜け出した幸村は紀見峠を越えて大坂城へと入城する。
ここから大坂城までは直線で約50qくらい。

〜真田丸〜


真田丸のあった場所といわれる宰相山公園内の幸村像。左側には大坂城内へ通じていたといわれる 「真田の抜け穴」跡がある。右上は公園の東側 地形が盛り上がっているのが分かる。

左上 真田幸村とその子大助の供養の為に建てられた心眼寺。宰相山公園の西側にあり、心眼寺から南へお寺が続く。
ちょうど宰相山公園、明星学園の北に空堀町があり、地形もそこから東西へ堀跡のようにえぐられた感じの地形が 続く。明星学園の西北にある清水谷公園の付近がよくわかる。
そして明星学園から宰相山公園にかけて東西に盛り上がった地形になっており、真田丸らしい地形だとひとり納得。
右上 幸村戦死の地といわれる安居神社 
大阪市天王寺区逢阪1丁目 国道25号を挟んで一心寺の向かい側
駐車場が無いので朝早く行ったら、門が閉まっていて中に入れませんでした・・・注意!


城館探訪〜その他の県〜へ戻る