杉山城

すぎやまじょう

《別名》 雁城




杉山城の歴史については定かではないが、一説には 松山城主上田氏の家臣杉山(庄)主水 の居城と伝えられている。
現在残る縄張りから見て、北条氏が松山城攻防の一環として、対上杉氏のために築城したといわれている。
だが、平成14〜16年度の発掘調査により、本郭で火災があり火事場片づけをした上で、廃棄されている ことがわかった。遺物の年代から、火災があり廃棄されたのは15世紀末に近い後半から16世紀 初頭と考えられ、これまでの通説とはズレを生じている。
<場所>埼玉県比企郡嵐山町杉山
<行き方>県道296号玉ノ岡中(南)入り口信号東へ
積善寺、玉ノ岡中裏手が城域
<駐車場>城域北側入口 3台
<撮影日>2005年7月
<参考書籍>『日本城郭大系5』『戦国の堅城』

【上】東側 市野川より  菅谷館の北約3q、長尾根状の丘陵地に位置する。鎌倉街道沿いにある。

『杉山城要図』



【左上】大手口  大手前は南東に延びる尾根上を削平した出郭となっている。発掘調査により出郭内部にも溝が 掘られて、直線的には侵入できないようになっていることがわかった。
【中上】大手より南側の眺め  城域西側を南北に鎌倉街道が通る。
【右上】馬出  南に延びる尾根上の先端に位置し、南三の郭南虎口に通じる。

【左上】南二の郭より南三の郭、馬出方面  南三の郭から二の郭への虎口は食い違い虎口となっている。
馬出はやや低い位置にあるため、ここからは見通せない。
【右上】本郭より南二の郭  二の郭は三の郭、井戸郭、東側帯郭へと三方に通じている。

【左上】井戸郭、本郭  写真左側が本郭で、木橋を渡って入るようになっていた。
【右上】本郭  写真左側の土塁切れ目が東虎口で東二の郭、三の郭に通じる。 発掘調査で両側に石積み、石列を周囲に巡らした虎口が検出された。石積みは壊された 後に埋められており、城を棄てる時に壊されたと考えられている。
奥が南虎口で 井戸郭に通じる。


【左】本郭より井戸跡  井戸郭の西下方にあり、現在も水がしみ出ている。蓋として大きな岩が のっているが、廃城の際に敵方に使われないように水の手を断つ為だと考えられている。

【左上】本郭より東二の郭、三の郭方面  主郭から東に延びる尾根上の防備となる郭。
【右上】東三の郭より本郭方面  本郭の切岸が高く切り立っているのがわかる。

【左上】本郭北虎口より北二の郭方面  北二の郭から本郭を西帯郭へ回り込んで登るようになっている。
【右上】北三の郭搦手  空堀、土塁が巡っているが、規模は大きくない。北二の郭へ の虎口には巨大な土塁があり、虎口も防御性が高い。


〜感想〜
各郭の虎口は横矢がかけられるようになっており、導入路も複雑に工夫を凝らしている。 北条氏による縄張りの特徴が見られるが、ただ、本郭東虎口などのように単純なつくりの部分、 削平が不十分の東二の郭など、様々な要素が混じっているのも感じる。
最近のものだと思われるが簡単な説明紙が城内20カ所程に立てられており、下調べ無しでも見て回る ことができる。 発掘調査の成果も写真付きで書かれており、しばらく訪れていない人にもオススメである。
縄張り研究の成果と発掘調査との間で使用年代のズレがあるが、発掘もまだ部分的なものであるので、 まだ断定はしがたい。調査は続いているようなので、これからどのような成果がでるのか 期待したい。



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