宇津嶽山城
 うつたけやまじょう

京都府京都市右京区京北下宇津町・南丹市日吉町世木


―史料からみた宇津嶽山城―
「北桑田郡鶴岡村市原氏所蔵」の「土岐一流一原氏本伝」によると、文明2年(1470)、「宇都嶽山城主宇都右京亮頼夏」が弓削・山国・野々村氏までも味方に引き入れたとある。
しかし、このことを裏付ける同時代史料を見出すことはできない。

【左】宇津城下からみた宇津嶽山城

―立地―
宇津地域は大堰川(桂川)が東から西へ流れる両岸に開けた土地をもつ、山間部に位置する。 宇津嶽山城は宇津と南丹市日吉町世木との境界に位置し、城域の南に貞任峠、北に人尾峠が通っている。


―現況―

【左上】登城口
城域東麓を通る林道の途中、沢に沿って細い道が城域方面へ続いている。途中で未舗装の山道となる。

【右上】山道の終点部分
沢に沿った山道の終点が鞍部となっており、そこから城域尾根を目指して直登。登城口から尾根上まで約30分。

【左上】主郭北側尾根
主郭北側尾根は若干削平されたような跡はある。

【右上】主郭
約25m×10m。完全に削平されていることが確認できるのは主郭のみ。

【左上】南西側尾根の二重堀切
主郭の南西側に削平のあまい腰郭、さらにその下方に二重堀切がある。だいぶ埋まっているようである。

【右上】南西尾根鞍部
二重堀切の先の鞍部。『大系』では「空堀」としているが、自然地形と思われる。

【左上】城域南側、コスモスパークからみた宇津嶽山城
このあたりを宇津と世木を結ぶ「貞任古道」が通っていたようである。古道は高所を通っているため、宇津城下からみた嶽山城のような圧倒的高さは感じられない。

【右上】旧貞任峠
貞任峠の伝説(現地案内板)…前九年の役(1051〜62)で、源義家によって討たれた安倍貞任の亡骸を都の陰陽師が、東西南北に川のある土地に埋めるように占った。そこで、体を七分して七カ所に埋めた。亡骸を切った所を「切畑」(京北弓槻)と云い、頭を葬ったのは貞任峠、肩を埋めた高谷、足手山、人尾峠など、貞任にまつわる体の部分の中が付いた。ところが、貞任の怨霊が村人や往来の人に災いをなしたため、源義家が九州の宇佐八幡より勧請して貞任の霊を祀るのが、宇津の八幡さんであるという。(後略)

―感想―
『大系』では嶽山城のほうが宇津城よりも古いことを指摘しているが、根拠は不明である。また、同書で取り上げている『市原文書』とそれを根拠としている『北桑田郡誌』の記述は、同時代史料によって裏付けを取ることができないため、慎重に扱う必要がある。
現況では最高所に主郭、そこから続く南北の尾根上に郭とは言い難いくらい削平のあまい郭があるだけの小規模なものである。しかし、人尾峠・貞任峠を押えるのには適所であり、宇津城からも見通しのきく場所であることから、宇津氏によって早い時期から利用されていた可能性はある。



行き方 宇津西念寺の西側から世木ダムを結ぶ林道途中、@人尾峠から尾根を南へ、A「現況」に記した城域東側の道から、B貞任峠付近の南東尾根上から登る。(いずれにしても地形図・方位磁石が必携)
駐車場A林道わきに駐車スペースあり 3台
撮影日2015年11月20日
更新日2015年12月1日
参考文献 『日本城郭大系』11
『京都府中世城館跡調査報告書』第2冊―丹波編―(京都府教育委員会、2013年)
参考サイト城郭放浪記