甘利氏館

あまりしやかた




甘利氏の始まりは武田信義の嫡子、一条忠頼が次子行忠をここ甘利の庄に封じたことによる。 行忠は甘利を苗字とし、庄の要地に居館を構えた。
戦国期、甘利備前守虎泰は板垣信方、飯富虎昌らと共に武田晴信(信玄)を擁立し、 晴信の父である甲斐国主信虎を駿河の今川氏のもとへと退隠させた。その後も虎泰は信濃攻略において武功を立てたが、 村上義清との上田原の戦いにおいて討死している。
その後、虎泰の嫡子左衛門尉昌忠も信玄に仕え永禄10年(1567)頃に没した。
居館跡に建った大輪寺は昌忠開基、慶受院日国開山、慶受院は昌忠の三男で、亡き父を弔う為に館跡に 大輪寺を建立した。

【左】大輪寺本堂  


<場所>韮崎市旭町上条北割
<行き方>県道12号旭バイパス 御坊沢の南200m
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2004年5月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【左】バイパスより大輪寺付近  現在遺構は見られないが道路建設の際に一部発掘調査が行われ、 堀に囲まれた建物の一部、石垣列、溝跡、住居跡、墓などが確認された。


【左】甘利君遺徳碑  明治39年、境内に建てられた。


以前は境内の北側から西側にかけて土塁の一部が残っていたらしいが、現在は墓地拡大による 整地の為に消滅してしまったようだ。
南側の道を隔てた所を大庭、北側を北門、東側に矢立、的場、西側に大堀という地名を伝えている のみである。



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