源太ヶ城

げんたがじょう




甲斐源氏の祖新羅三郎義光の孫、逸見冠者黒源太清光が築城したと伝えられ、この名がある。
山頂からは南に若神子城旭山砦、 北に浅川、平沢方面が一望でき、のろし台として使用されたようである。
また、武田氏に仕えた武士団津金衆が、この城の麓にある古宮屋敷を 本拠として甲斐北辺を守っており、 源太ヶ城は要害として機能していたであろう。
<場所>北巨摩郡須玉町上津金
<行き方>国道141号長沢信号から清里方面へ約600m
大門ダム看板を右折 大門ダムを通り過ぎ
ウッドペッカーキャンプ場手前を左折
そのまま林道を約1.5q登る
<駐車場>無し 林道途中に路駐
<撮影日>2004年3月
<参考文献>『日本城郭大系』8




【左上】西側山頂部の郭  ピークが東西2カ所あり、ここは西側部分。土塁は 無いようである。この郭の1m下に帯郭があり、西側に下っていく部分に段郭が確認できる。
【中上】復元のろし台  西側山頂郭にあり、若神子城のある南側に面して建っており、のろし台の 形も若神子城と同じタイプ。しかし現在は林の中で見通しはあまり利かない。
【右上】城の北側の眺め  すぐ下は大門ダム。その先は清里、八ヶ岳高原が続く。

【左】西側段郭部分  大門ダムができた為、下部は道路で破壊されてしまったようであるが、 尾根に沿って数段確認できる。
【上】東西ピークの中間鞍部  自然地形に見えるが堀切として加工したようである。

【左上・中上】東側山頂の郭  ここが主郭と思われる。秋葉社が祀られており、案内杭が立っている。
郭の広さは西側とあまり変わらないが、樹木が生い茂る事は無く整備されている。ここから東側尾根上に 段郭がある。
【右上】郭より南方面の眺め  現在は樹木でなかなか見通しが利かないが須玉の町中に向かって 平地が広がっていく。

【左】東側尾根の段郭  この尾根を下って行くと海岸寺峠方面。
【上】城の北側浅川より源太ヶ城の眺め  大門川が流れる深い谷があり、城の直下で現在は清里湖と いわれる大門ダム湖となる。


【左】城へのアクセス道
ウッドペッカーキャンプ場の脇から写真の様な林道を1q程進むと、 自衛隊顕彰碑と書かれた石碑が建つ別れ道がある。ここから右斜め後ろ方向へと曲がって約1qで 西側尾根下に出る。途中、東西山頂の中間鞍部にも出られる。
車で行けるのは石碑の所付近まで。道幅は最後まで1台分はあるのだが、横と上から木や草の枝が茂っており 難しい。石碑の所が広くなっており、2,3台は停められる。ここからのろし台まで徒歩約20分。
また、下部の林道沿いに桜並木が続いており、桜の季節は車では無理か。



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