波木井城

はきいじょう





武田信虎が甲斐国内を統一して間もない大永元年(1521)に今川氏の武将、福島正成の率いる駿河勢が 甲斐に乱入した。この時、波木井義実は今川氏に通じていたため、信虎に波木井の峯の城で殺された。 この峯の城が波木井城のことといわれる。
波木井義実は波木井実長の系統を引くものといわれ、波木井城を中心に相当の勢力をもっていたと思われる。 義実の死後、城は廃され波木井氏の勢力も後を絶った。

【左】波木井城石碑
周囲は耕作地や民家となっている。『大系』によると 土門が残っているらしいが遺構は確認できなかった。
<場所>南巨摩郡身延町波木井
<行き方>国道52号波木井坂下バス停北側より県道803号へ 通じる道を登る。
約800m先三叉路を案内板通り波木井城方面へ直進し突き当たり
<駐車場>1台
<撮影日>2006年1月
<参考文献>『日本城郭大系』8
『身延町誌』1996年
<参考サイト>史跡訪問」 「飛騨の山猿大王


【左上】石碑背後の山頂方面  現在は耕作地となっている。段郭状になっているのは郭の痕跡かもしれない。 地元の人によるとこの山頂が烽火台だったという伝承があるという。
【右上】富士川の眺め  当時旧河内路(駿州往還)はこの台地上を通っていたようで、波木井城は 交通の要衝に位置していたと考えられる。


〜感想〜
波木井氏は実長より8代目の政光の時、一族をあげて奥州へと移っていくが、ここに残った者もいたのであろう。
それが義実の一族で、政情不安定の時代に入り、この地に城を構えたのか。
しかし、信虎によって滅ぼされ、立地の良さから烽火台として一部が使用されたと考えられる。



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