波木井氏屋敷

はきいしやしき

《別名》 南部氏館・御屋敷




南部光行は建久2年(1191)、実長をこの地に残して奥州に下向、奥州南部氏となる。
甲斐に残った実長は、波木井、飯野、南部の地を領有し、梅平に居を構え、波木井氏を称した。 実長は日蓮上人に帰依し、文永11年(1274)に日蓮を身延の地に招いた。 身延山久遠寺の始まりである。
波木井(南部)氏は8世の子孫政光が八戸に移るまで、およそ200年この地に住した。

【左】鏡円坊  身延山支院である鏡円坊は実長の次男が晩年に屋敷を改めたものと伝えられている。
<場所>南巨摩郡身延町梅平
<行き方>鏡円坊・・・国道52号身延バイパス沿い /  屋敷跡・・・鏡円坊より約300m西側、墓地裏を登る
<駐車場>鏡円坊・・・3台 / 屋敷跡・・・墓地前に路駐
<撮影日>2006年1月
<参考文献>『日本城郭大系』8
『山梨県史』資料編7 中世4考古学資料 2004年
<参考サイト>史跡訪問」 「飛騨の山猿大王


【左上】屋敷虎口部分か  墓地にある実長の巨大な五輪塔の裏手から道が有り、200m程登った所に 削平地がある。その手前はこのようなかなり掘られた道であり、防御を意識した造りなのだろうか。 屋敷跡は写真右側である。
【右上】屋敷跡 東側  この削平地の西側は波木井川、南側は栃久保沢で深い谷となる。広さは東西約45m、 南北約40m。

【左上】屋敷跡 西側  1983年には一部発掘調査が行われ、掘立柱建物跡、小杭、焼土堆積層 が確認された。12世紀末の土師器も確認され、実長の時代と重なる。
【右上】身延山の眺め  山頂部が見える。ここから久遠寺まで県道804号で約15分。


〜感想〜
ここ「御屋敷」を屋敷跡とする地元の伝承があるが、『甲斐国志』では梅平北方波木井集落背後の 山城跡を実長の屋敷としている。
さらに発掘調査は行われたが、約40m四方の削平地であり、遺物も微量であったことから、積極的にここが 実長の屋敷跡であると肯定するのは難しいとしている。
確かに波木井から南部一帯を支配していた者の館としては小さい。また、南部町の 南部氏館が実長の時代 どうなっていたかも不明である。まだ、謎の多い所だ・・・



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