白山城

はくさんじょう

《別名》 鍋山砦




甲斐源氏逸見源太清光の子信義は、武田に 居館を構え要害城をここに築いた。 信義の後は武田一門の一条氏、その支族武川衆の青木氏、山寺氏が守備した。 武田氏滅亡後、甲斐で徳川氏と北条氏との争奪戦が始まり、武川衆は徳川氏に従った。
<場所>韮崎市神山町鍋山
<行き方>県道602号突き当たり武田八幡神社より徒歩
<駐車場>武田八幡神社駐車場利用 10台
<撮影日>2004年12月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【左】釜無川より白山城  写真中央の小山。 信義館より南西約1.5qに位置し、 武田八幡神社の南側の山になる。

『白山城要図』


『白山城付近図』



【左上】北側より白山城  武田八幡から八幡沢川沿いに登ると鹿除け?フェンスがあるので、そこを中へ入り 左側の橋を渡って登りはじめる。約10分で主郭。釜無川へと下る東側斜面は比較的緩やかで 屋敷跡もあるようだ。
【中上】主郭北側(三の郭)  武田八幡から登ると主郭北側に出る。堀切を越えると要図で三の丸と 書いてある郭があり、東側が桝形状に窪地となっているが、図では蔵跡と書いてあり、発掘調査の 跡であろうか。主郭へ行くには土橋を渡り南側へ回り込むようになる。
【右上】主郭東側帯郭  主郭の南北にある郭を繋いでいる。

【左上】主郭  約25m四方で1〜2mの土塁が囲む。
【右上】主郭桝形  遺構は全体的にかなり良い状態で残っており、主郭虎口部分もわかりやすい。

【左上】主郭南側(二の郭)  南側からの登り口が大手で、鍋山集落から城の名の由来となっている 白山神社を越えて登ってくるとここに出る。見事な土塁が半円状に囲む。南西側は上部が広くなって おり、何か土塁上に建物があったのであろうか。
【右上】南西側土塁と主郭との間の空堀  二の郭土塁は上部が広くなっている部分から西側に回り込むと、 主郭の切岸との間に空堀を造り、最終的に主郭土塁と繋がっている。複雑な構成を見せる。

【左上】西側尾根の堀切  西側は背後の山地へ連なる尾根で、二条の堀切で遮断している。 最初のものは主郭西側から直下にあり、上幅20m、深さ8m程はある大規模なものだ。写真は二条目の 堀切で、ここを越えると急な上りになる。
【中上】東斜面の犬走り  主郭東側の帯郭よりさらに5m程下に細い通路があり、ここから東斜面へ は竪堀が何条もあるのだが、ほとんど埋まってしまっており、痕跡が判る程度。
【右上】鍋山集落からの白山城  こちらが大手口。鍋山集落は根小屋だった所と思われる。


遺構の残存状況は良く、縄張り自体も見ごたえのあるものだが、これは武田信義時代のものでは ないだろう。武川衆によって漸次改修拡大されながら使用されたため、これだけの遺構が見られるのだと 思われる。徳川、北条勢が対峙したときも改修されたであろう。



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