岩殿城

いわとのじょう




岩殿山は9世紀の末から円通寺として開創されたと伝えられ、10世紀には門前町は栄え、 13世紀には甲斐一帯、駿河富士郡付近まで一大勢力を持っていた。
16世紀になると武田、小山田両氏の支配を受け、岩殿城として武蔵、相模に備える戦略上の拠点と なった。築城時期、築城者など詳細なことは定かではない。
武田氏滅亡後は徳川氏により利用されたが、江戸時代17世紀の初めには廃城となった。 円通寺はその後も続いていたが、明治に入り神仏分離政策によりそのあとを絶たれた。

【左】大月市街より見た岩殿山  独立した山で南面には岩盤がむき出しになった「鏡岩」が あり、岩殿城の象徴である。山頂に遺構が見られ、確認できたもので4通りの行き方があり、 どこを行っても麓から山頂まで約30〜40分はかかる。
<場所>大月市賑岡町岩殿
<行き方>国道20号高月橋入り口信号入る
国道139号高月橋渡って約100m先と岩殿上バス停の2カ所から登山道有り
<駐車場>高月橋渡ってすぐ左側 10台
<撮影日>2004年3月
<参考文献>『日本城郭大系』8



【左上】資料館から見た岩殿城・鏡岩  高月橋から国道139号を約100m登ると左側に 岩殿城登り口の看板がある。そこからこの資料館の所まで約10分。
現在はここがメインの登り口である。
【右上】大手口  手前には「築坂」といわれる堀切がある。城の南西側に位置しており、 当時の大手道は桂川、浅利川に沿って西側に開いていたようである。
現在は資料館から登って行き、途中案内板のある分かれ道を大手方面へ下る(資料館より約30分)か、 高月橋駐車場から西へ中央高速の下をくぐり、沢に突き当たったら沢沿いに約200m登る。 右手に登山道があるので、そこから登るルートで駐車場から約20分。

【左上】東側登山道より鏡岩  東側登山道は国道139号岩殿上バス停の脇に駐車スペースが5台分 あり、そこから出ている。
城ができる以前からある円通寺はこちらの東側に発展していた。
【中上】揚城戸跡  山頂郭群の南西側すぐ下にあり、大手口から二番目の関門となり、 巨大な自然石を利用して城門を築いていた。
【右上】番所跡  揚城戸から入るとこの削平地があり、右上はすぐ山頂。城域の西側に出る。

【左上】南物見台付近  鏡岩の上にあたり展望は抜群。
【右上】直下を流れる桂川  物見台から見ると小さく見えるが川の両側は30m程の崖であり、 岩殿城の南面天然の堀である。左側の橋が高月橋。

【左上】南物見台から東方面  現在甲州街道、中央道が通っており、東京方面へ続く。
【中上】南物見台から南西方面  大月市街が一望でき、南の谷を行くと富士みち、西へは甲州街道 を甲府へと行く。
【右上】城域西側より「本城」方面  本丸は城域東側に位置しており、奥の少し高い部分が それである。

【左上】北側の眺め  畑倉集落があり、東を流れる葛野川まで「大堀」があって北辺の 守りとしていたという。この集落からも登山道があり、大手口に出る。
【中上】「馬場」  城域の真ん中付近で一番広い平地の部分。
【右上】用水池  馬場の南下にあり、上(右)に位置するのが亀ヶ池と呼ばれ飲用に、下(左)に位置するのが 馬洗池と呼ばれ馬、兵の水浴用としたとのこと。

【左上】「馬場」より東側方面  本丸へと登っていく道と右側には下をそのまま通過して東側 登山道に出る道がある。
【中上】蔵屋敷跡  武器、兵糧など保管庫があった場所といわれ、本丸と馬場の間にある段郭の 中の一番大きい郭である。
【右上】のろし台跡  本丸の西隅部分にある。

【左上】本丸  現在はテレビの中継塔施設がほとんどの部分を占めており、だいぶ人の手が入って しまっているだろう。
【中上】本丸東下の堀切  規模は大きく本丸を東側登山道から守る最後の防御線になる。 堀切の先にある郭が東物見台といわれている。
【右上】城域東端の堀切  堀切は2条あり、東物見台の先でここが東端である。

【左上】東側登山道途中より山頂方面
【中上】七社権現洞窟  兵舎や出丸として用いられたという。東側登山道の途中にある。
【右上】円通寺跡  岩殿上バス停の崖下にある。最盛期には岩殿城の東、北側麓一帯の広大な 寺域を持ち、岩殿は門前町として賑わっていた。
     


【左】当時の円通寺付近
「甲陽軍鑑」によると岩殿城は駿河の 久能山城、上野の岩櫃城と並び、 武田三名城といわれている。
しかし、郭の構成などの工夫、おもしろさは無く、麓から見た時の岩盤の露出度で決まった感じである。



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