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![]() この館は加賀美遠光の館跡で、現在の法善寺の寺域であるという。ここはかつて加賀美荘とよばれた 地域で、東に釜無川、西に滝沢川が流れ、この二つの川に挟まれた平地が水田地帯として開けた。 加賀美遠光は甲斐源氏の祖、新羅三郎義光の曾孫にあたり、三代清光の三男である。 源頼朝の挙兵以来、甲斐源氏の有力な武将として多くの功績をあげたが、 甲斐源氏の台頭は頼朝にとって危険なものと感じられ、、勢力を巧みに排除されていく。 清光の次男武田信義の子、一条忠頼が謀殺され、 信義は第一線を退き、遠光の子である秋山光朝も死に追いやられた。 その中で遠光は長寿を全うし、弘長元年(1261)に没した。 ![]() 【上】法善寺本堂 遠光の菩提を弔うために、孫の遠経が再興したという法善寺。 武田八幡宮の別当寺を務めるなど、 武田氏ともつながりがある。 信玄の時代にも越後侵攻の成功祈願、上洛祈願など祈願所としての役割を担っていた。 【左】二天門 寺域の南東にあり、江戸期の古い門である。 門の前には用水路が通っており、かつて堀があったと思われる。
館跡ということを偲ばせる唯一のものはこの用水路である。寺域の南面と西面を囲んでおり、 方形の館で堀がめぐらせてあったことを窺わせる。
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