勝山城

かつやまじょう




勝山城は武田信繩の異母弟油川信恵・繩美が永正年間(1504〜21)に、拠点としたのが 文献上の初見である。その頃はこの二人の兄武田信繩との対立と、今川・北条氏の隣国からの侵攻があり、 甲斐は戦場と化していた。
信虎の代になった永正12年には大井氏が駿河今川氏の援助を受けて反乱を起こし、今川軍は 2千人の援軍を送り込み、勝山城を占拠した。また、天正10年(1582)の徳川・北条氏 の戦いの時には、徳川氏が修復し使用していた。
甲斐・駿河を結ぶ中道往還が通るこの場所は要所であったことがうかがえる。

【左】南側より勝山城  笛吹川の氾濫原に面した小高い独立した丘を利用している。比高は たいしたことはないが、盆地一帯が見渡せる。
<場所>甲府市中道町上曽根
<行き方>県道113号上曽根信号の北をJA方向に入って約400m先
<駐車場>無し 中央道高架下に路駐
<撮影日>2005年1月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【左上】虎口部分か  内部は耕作地になっており断定はできないが、南東側から入る道がついている。
【中上】東側帯郭土塁  現在の耕作地はおそらく郭、土塁などをそのまま利用したものが ほとんどと思われる。
【右上】主郭部虎口  丘の頂上一帯はかなり広く、この部分に主郭があったと思われる。中は わずかに高低の段差があり、郭が分かれていたようだが、密集した竹藪となってしまった部分が多くあり、 詳細はわからない。最近立てられた勝山城石碑が脇にある。

【左上】虎口脇の空堀  虎口から南方向へ延びている。
【中上・右上】主郭付近  虎口を入ると広い削平地が広がる。さらに奥の最も高い所は 藪となっている。

【左上】北側帯郭  西側から南側にかけては藪で内部はわからない。北側は段郭状になっている。
【右上】城外からの北側部分  かなり改変もされているであろうが、竪堀状のものが確認できる。

【左上】南外側部分  当時は堀、泥田が城を取り囲んでいたという。現在は耕作地となっているが、 南側は痕跡がよくわかる。
【右上】北西側より勝山城  戦国末期まで改修されながら使用され、その後は耕作地になっているが、 見るべきものはある。ただ、耕作地から藪化してきているようで、このまま維持できるかどうか・・



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