御坂城

みさかじょう




御坂城は古代官道御坂路、中世には鎌倉街道として、甲斐と駿河を結ぶ重要な交通路上にある。
天正10年(1582)3月、武田氏が滅び、6月には本能寺の変により信長が殺された。 甲斐は河尻鎮吉が領していたが、鎮吉も民衆に殺されてしまった。
領主を失った甲斐には徳川、北条両氏が侵攻してきた。徳川氏は中道往還から侵攻し、現在の甲府盆地 を中心とする国中地方を押さえ、北条氏は小山田氏の本領であった郡内地方を制圧し、上野、武蔵方面 から国中地方に向かって侵攻した。
北条氏は郡内の谷村城を 根拠地として笹子峠、御坂峠(御坂城)に陣取り、国中地方侵入をうかがった。 徳川氏はそれに対し小山城に陣取った。 同年8月12日、御坂城と小山城との中間地点、 黒駒で合戦となり徳川方は北条方を敗走させ、郡内方面の脅威を除いた。
【上】御坂城空堀  鎌倉街道御坂峠を中心に尾根上に細長く郭、堀が連なる。空堀は特徴的で 尾根下の両サイドを走り、途中竪堀を付けたり、エル字に屈曲させたりする。

<場所>南都留郡富士河口湖町、笛吹市御坂町御坂峠
<行き方>県道708号御坂トンネル南側、天下茶屋より徒歩約1時間20分、帰り約1時間
<駐車場>天下茶屋付近 15台
<撮影日>2005年5月
<参考文献>『日本城郭大系』8

『御坂城要図』



【左上】城域北端  天下茶屋より御坂峠の案内板に従って、尾根を歩いてくると北端にでる。 ここには堀切があり、そして城域を囲むようにある横堀が尾根の両サイドに向かってカーブして いるのが確認できる。
【中上】西側横堀  横堀を西側尾根下に回り込むと、直線で続いているが、この先枝分かれして 二重の横堀となっている。途中から御坂峠に向かって急角度で高度を下げていく。東側尾根下も 同様な横堀が続く。
【右上】御坂峠  急斜面を降りると東西に鎌倉街道が横切っている御坂峠にでる。ここから南側は約200m やや広い削平地が続いている。峠道を城域の中に取り込んでいるのは北条氏では 山中城でもみられる。

【左上】峠南側尾根  峠の南側はやや高くなっており、削平地が続いている。
【右上】南側尾根  この部分は空堀、土塁によって厳重に守られている部分で、内部は狭いが 主郭部分と考えられる。

【左上】南側尾根土塁、空堀  さらに進むと土塁上が現在の道となっており、西側には巨大な空堀が 続く。東側は尾根に沿って削平地が続き、その東側にはやはり空堀がある。ここから南へは また登り坂となる。
【右上】城域南端  坂を登りきると小郭があり、その先端には堀切がある。


城の両端が高い位置、中央部が低い所で峠道が横切るという特異な造りをしている。 また、空堀、土塁がかなり発達しているわりには、尾根上ではあるが郭はあまり規模が大きくなく、削平も あまり完全ではない。
また、尾根下両サイドに空堀が続いているのだが、国中地方側となる西側の堀が大規模で、二重となっている 所や竪堀も存在し、北条氏による城ということがわかる。
北条氏が徳川氏に対峙した期間は数ヶ月。この城を造った当時、防御機能を最優先として普請されたため このような構造となったのであろうか。



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