長坂氏館

ながさかしやかた




信玄の時代、長坂氏三代頼広釣閑斎は 茶臼山城において 信濃諏訪方面の領国経営を行っていた。 後に武田勝頼の側近となり、天正10年(1582)織田信長の甲斐侵攻の際、 甲府において自害したといわれる。
「甲斐国志」によると天正10年、本能寺の変後、徳川氏と北条氏による「天正壬午の戦い」で 北条氏が修築したとしている。
<場所>北杜市長坂町長坂上条
<行き方>県道17号「パーカー熱処理」工場の所を北へ入る
約300m先小さい橋を渡って右折
右側林の手前に案内板有り
<駐車場>案内板手前 1台
<撮影日>2005年1月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【上】長坂氏館北西側  「長閑山」とよばれる丘陵地が西側に張り出した部分に館がある。 館は丘陵地内部に有り、土塁、堀が周囲にめぐり、北側は写真のように約5m程の急斜面になっている。

【左上】虎口部分  館は方形に近い形をした東西60m、南北80mの規模がある。 虎口は南側ほぼ中央にあり土橋がかかる。内部は写真の通り荒れ放題で、夏場は侵入不可であろう。
【右上】堀、土塁 南東角部分  土塁、堀ともにこの部分が一番いい状態。館の北側以外は丘陵地の地続き である。

【左上】堀、土塁 東側部分  堀は北側に行くに連れて浅くなる。
【右上】北側外部  堀は北側には無く、土塁の外側は平坦地が腰郭状についており、 その先は急斜面となっている。


【左】館から北東部の現在の集落
「日本城郭大系」にあるように、 八ヶ岳からの斜面上部である北側に館、その東西南側に水田という配置ではなく、 北西南に水田が有るという点、それに伴って水利を押さえていない点において、この付近の他の館とは 性格を異にしている。
現在の集落が約100m四方の道路、水路によって囲まれているのが、やはり気になる。
現在館跡といわれているのは純粋に北条氏によって造られた陣城なのかもしれない。

【左上・右上】穂見諏訪十五所神社  拝殿と池
館から北西に約500mに位置する。池があり用水はここから現在の集落を通して、水田に灌漑している。
長坂氏館を考える上でこの用水は考えなければならない。



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