武田信春館
たけだのぶはるやかた

《別名》 千野館 甲州市塩山千野



武田宗家の歴史の中で、比較的安定していた時期が、信武・信成・信春の三代であるといわれている。だが、 信春の代になると、甲斐国内では不安定な状態が続き、文和4年(1355)2月に南朝方が信春を攻め、信春は柏尾山(勝沼町 大善寺)に陣取って戦った。
応永2年(1413)に、萩原入の柳沢の堡に逃れて逝去したという。

【左】柳澤山慈徳院
館跡は現在慈徳院の境内となっている。周囲には水路が廻っており、その内側が館と思われる。
境内には信春の墓があるが、遺構は残っていない。

【左上】館南側  写真奥に「馬場街道  千野館の兵馬の訓練場跡」の標柱が立っている。
【右上】西側  水路は道の反対側に流れている。南北約150m、東西約100mと南北に長くなっている。


〜感想〜
信春は伝統的に守護の館が石和周辺にあったのを盆地東部に移した。その理由として『大系』では黒川金山との関係を指摘している。 南北朝時代の中で鎌倉府、関東管領上杉氏との緊密さを増した政治的背景も関係あるかもしれない。


行き方国道411号塩山高入口信号を西へ入る  50m先を右折し慈徳院方面へ
駐車場慈徳院駐車場 15台
撮影日2006年5月
参考文献『日本城郭大系』8
参考サイト史跡訪問