武田信重館

たけだのぶしげやかた




信重は父信満が木賊で自害した後、 逸見氏から逃れる為出家し、高野山に逃げている。
しかし弟信長と幕府の後押し等により、21年後の永享10年(1438)に甲斐守護として ようやく入国を果たした。入国後も安定はせず、宝徳2年(1450)黒坂太郎信光と交戦中、 小山城主穴山伊豆守に攻められ自害した。
翌年信重の長子信守が館の地に成就院を建て、信重の位牌寺とした。
永禄年間(1550頃)武田信玄が岩窪にこれを移して 円光院と改称し、旧境内は放置されていたが、 慶長年間(1610頃)寺院が再建された。
【左】成就院本堂  寺のある場所は笛吹川の氾濫原で、当時の様子はまったく伝えていないが、 「甲斐国志」の編纂時にはまだ遺構があったようである。現在周囲は宅地化している。

<場所>笛吹市石和町小石和
<行き方>県道22号螢見橋から西へ約400m
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2005年1月
<参考文献>『日本城郭大系』8

【左】武田信重の墓  本堂脇にある。ここから東方約2qの所には信重の3代前 武田信成館跡 がある。(長子信守の館という説もある)



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