武田信義館

たけだのぶよしやかた




武田信義(1128〜1186)は甲斐源氏清光の子であり、嫡男の逸見太郎光長よりも抜きんでて甲斐源氏の 惣領的地位にあった。
治承4年(1180)に源頼朝の要請を受け平氏打倒の兵を起こし、信濃・駿河に転戦して武功を立て、 駿河守護に任じられた。しかし甲斐源氏の軍事力の増大に危機を持った頼朝によって抑圧され、第一線を退いた。 文治2年(1186)失意のうちに59歳で世を去った。
鳳凰山願成寺に信義の墓という大きな五輪塔がある。

<場所>韮崎市神山町
<行き方>国道20号武田橋北詰信号橋を渡り右折
西中、丸大食品の前を通り、坂を上った所に看板有り
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2004年3月
<参考文献>『日本城郭大系』8、『武田信玄を歩く』




【左】武田信義館跡  住宅、畑の中に小さい広場があり、そこに碑が立っている。(上の地図)
館の位置、形状は書いてなかった。ただこの付近にあったということしか判らないのであろう。
ここより南西へ約1.5qの所に要害城の白山城がある。

【左上】釜無川より信義館方面  段丘の上に館がある。東が釜無川、西は白山城を中心とした南アルプスに 続く山々、北は竪沢、南は甘利沢で天然の防御としていたようである。
【中上】信義館南側  左の写真と同じ場所から少し南側を撮ったもの。この段丘上に願成寺が ある。
【右上】信義館のある段丘  左上の写真の段丘に近づいた所でこの上が館跡。


願成寺がんじょうじ



信義館跡から南へ約400mの所に位置しており、信義はこの寺を祈願寺として中興し、 信義の墓といわれる五輪塔がある。

<場所>韮崎市神山町
<行き方>国道20号武田橋北詰信号橋を渡り右折
西中の先を左折し、約500m先案内板を左折
約200m先右折すぐ
<駐車場>20台
<撮影日>2004年3月
<参考文献>『武田信玄を歩く』


【左上・中上】武田信義墓所  中央の五輪塔(高さ183p)が信義、向かって左が夫人、右が乳母姫(13代 武田信昌の息女でこの寺に隠棲して終わる)の墓塔と伝えられている。
【右上】武田氏累代御霊殿  墓所のすぐ脇に建っている。最近の建物のようである。

【左上】願成寺より東側、釜無川方面  向こうに見える丘陵地は七里岩の段丘で、左隅の付近が 新府城のある場所。
【右上】願成寺東側の段丘  武田信義館から続いており、釜無川の段丘である。



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