四方津御前山の烽火台

しほつごぜんやまののろしだい




この烽火台についての詳細は不明である。同じ尾根続きの東側下方に 牧野砦があり、その死角を 補うために造られたものであろうと『大系』では推測している。上野原の中央に位置する 烽火台として、かなり重要な役割を有していたと思われる。

【左】南側下より
現在の甲州街道(国道20号)が桂川沿いに南側真下を通っている。
甲斐と相模の国境の町である上野原から大月へ至るには桂川沿いと仲間川沿いのルート、 その中間の八ツ沢をさかのぼるルートがある。
四方津御前山と牧野砦は桂川北岸、八ツ沢に対する守りとなっていたと考えられている。
<場所>上野原市四方津
<行き方>国道20号よりコモアしおつ方面へ トンネルを抜けヘアピンカーブを 抜けたら割烹料理屋手前を右折
100m先が登山口(案内板有り)
<駐車場>無し 路中
<撮影日>2006年1月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【左上】西側の郭  登山口から約20分。東西に伸びる尾根上に郭が連なる。『大系』では ここを主郭としている。
【中上】堀切と東側の郭  主郭とされる郭の東側には唯一の堀切があり、その先には尾根上に 約50m平坦な道が続く。
【右上】東端の郭  東端の郭は現在電波塔が建っているため、改変を受けたと思われる。郭は ほとんど電波塔の敷地になっているが四方を見渡せる。ここが烽火台として使用された所と思われる。
また、東側は尾根続きだが自然地形と思われる切岸状のかなり急斜面で下っているため、防御施設は もともと無かったと思われる。

【左上】南東方面の眺め  尾根をやや東に下ってきた所からの眺めだが、桂川の対岸に栃穴御前山砦、 鶴島御前山が向かい合う。街道を挟み込む形である。
【中上】東方面の眺め  牧野砦に向かう尾根が続き、その向こうには上野原の町が見える。 その先は相模国となる。
【右上】北方面の眺め  向こうの山の麓に仲間川が流れ、旧甲州街道、中央道などが通る。中央道 に破壊された長峰砦、仲間川の北側には大倉砦が 仲間川沿いのルートを防衛していた。



〜感想〜
この烽火台についての史料は無いようだが、『甲斐国志』では牧野砦の項で誰の居城であったかはわからないが、 小山田氏の手による国境の備えかもしれないとしている。
いずれにしても相模との国境に位置し、甲斐国内への重要な街道筋を抑えるための戦国期に使用された施設、烽火台と思われる。
縄張りは簡単なものだが、自然地形によって周囲は断崖に近い状態のため、烽火台としてはこれで十分で あったのだろう。
【上】四方津御前山 東尾根上より
尾根伝いに東へ行くと牧野砦に行くことができる。しかし、写真のように岩盤が尾根に露出しており、 北面、南面は断崖というような所を岩伝いに横断するところが数箇所あり、高所恐怖症の人には かなりの恐怖と危険が伴うので要注意・・・
ビビりながら進むこと約1時間半もかかり、牧野砦に到着。下から回った方が早かったかも・・・


『甲斐国志』では御前の名を有する山はすべて烽火台であろうと推測しているが、 御前山の中で遺構が発見されたものは栃穴御前山、四方津御前山、駒宮の御前平である。 桂川流域における御前山に共通した点は、集落に最も近接した位置にあり、集落に面した山頂または 山腹に石や木で作られた祠が祀られている点である。このことから、御前という名は集落の神が祀られる 山としての尊称に由来するものであり、したがって御前山すなわち烽火台が設けられる可能性が 高い山名と解する程度の方が良いように思われる。 〔室伏徹「研究ノート 甲斐・武蔵・相模国境の城砦」『日本城郭大系』8〕


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