新府城

しんぷじょう



新府城は天正9年(1581)武田勝頼が迫り来る織田・徳川軍を迎撃する為に真田昌幸を 普請奉行にして造った城である。
勝頼はここに甲斐の府中を移そうとし、甲府の古府中に対し、新府中という意味で新府城と名付けた。
緊迫した状況のもと突貫工事が行われ、石垣をほとんど使用せずに堀、土塁、郭を複雑に、機能的に配置して 造られた。結果、甲斐の築城技術の上では優れた城の一つとなり、規模は最大級のものとなった。
その後の経過は言うまでもないが、結局、勝頼はこの城を放棄し、戦わずして城としての使命が終わった。
織田信長が本能寺の変で倒れた後、甲斐は徳川氏と北条氏の争奪の場となり、新府城は徳川軍の拠点となり、 北条軍は若神子城を拠点として対峙した。 いわゆる天正壬午の戦いである。この戦いに勝利した徳川家康は天正11年、甲府の一条小山に 甲府城の築城を開始し、甲斐の府中は再び甲府に戻ることになる。

<場所>韮崎市中田町
<行き方>県道17号沿い 新府駅西側1q
<駐車場>県道を挟んで反対側に大駐車場あり
<撮影日>2003年12月
<参考文献>『日本城郭大系』8





新府城南側 大手口から三の丸付近
三日月堀や大手口の土塁桝形は良い状態で残っている。
三の丸南側から西側にかけては車道が通っており、この部分は破壊されてしまっている。


【左上、中上】丸馬出し三日月堀部分  堀から馬出し上まで比高10m程あり、目の前にするとかなりの迫力。
【右上】東三の丸より大手口桝形方面  この付近は土塁の迫力を感じる、見所の一つ。

【左上】東三の丸  【右上】西三の丸  各三の丸の間は土塁によって仕切られている。写真に見える土塁がそれ。 本来は三の丸の下を大手道が通っていたのであろうが、現在は車道が通されたことにより、 土塁が途中で破壊されており、三の丸の南部分を通って二の丸へと向かう。


新府城北側
二の丸から本丸の虎口は「蔀の構え」となっているが、土塁によって食い違いにして、侵入した敵を 攻撃しやすくし、本丸内部を敵に見えないように工夫している。
北側の堀に二カ所、「出構え」を設け北方の高地からの敵襲に備えて、鉄砲により十字砲火を浴びせる よう工夫されたもので、新府城の特色である。
搦め手口は城の北西隅にあり、左図の左端、切れてしまっているが、堀によって独立した曲輪 となっており、七里岩の断崖上で諏訪口方面の眺望が良く、望楼台が置かれていたと想像される。

【左上】本丸より二の丸方面  本丸と二の丸の間には土塁によって仕切られた空間がある。
【右上】二の丸より二の丸虎口部分

【左上】二の丸馬出し  二の丸にも変形状の馬出しが設けられていた。
【中上】馬出し下より二の丸虎口方面  車道により結構破壊された部分があるようである。
【右上】二の丸より西側の眺め  西側は七里岩の断崖となり、釜無川の流れが見え、川沿いの信州往還 からは新府城は仰ぎ見るようになる。しかし、県道からは比高はそれほどでもない。

【左上、右上】本丸虎口部分  本来は二の郭から「蔀の構え」を通り、本丸へと行くことになるが、 現在は車道が二の丸を通らず、そのまま土塁を破壊して本丸へと繋がっている。
右写真の真ん中のくぼみが本来の道で、両サイドの土塁が「蔀の構え」を形成している。

【左上】本丸  広さは東西90m、南北120mでかなり広い。
【中上】武田勝頼公霊社と家臣の慰霊碑  本丸の北側縁にあり、中央の石祠は武田氏滅亡後、 この付近の住民が国主の恩徳を追慕して勝頼の心霊を納め、勝頼神社と称している。建立時期は元禄(1684) の頃といわれている。家臣の慰霊碑は最近の物。
【右上】本丸より北側の眺め  穴山の能見城が見える。

【左上】本丸西側の虎口  ここも土塁によって防御の工夫を凝らしている。
【右上】本丸西下にある井戸跡  ここの他にも搦め手方面に一カ所確認できた。周りは石で固められていた ようである。

【左上】本丸東側虎口  現在、東側の本丸下の帯曲輪は稲荷曲輪と呼ばれているが、本丸東側にある藤武神社の参道が 通っている。
【右上】城の東側 参道の階段  東側も急な斜面で現在は階段がついているが、当時はここからは 登れなかったであろう。

【左上、右上】城の東側の堀  左上写真の部分は「首洗池」という名がついている。県道によって 一部破壊されているが、かなりの大きさの堀が東側から北側にかけて通っている。

【左上、右上】「東出構え」 北側の堀に西と東に「出構え」をつくり、防御の工夫をしている。

【左上】「東出構え」より「西出構え」方面  奥に見える盛り上がった所が「西出構え」
【右上】堀の最西端部より  現在は堀の中に小川が流れている程度で、空堀になっているが この付近はいくらか水がたまっている。


【左】搦め手の曲輪
ここは城の北西隅になり、七里岩の方へと抜ける。 諏訪口方面(長野県方面)の眺めがよく、望楼台があったとされる。


【左】現在の縄張り図
車を駐車場に置いて県道を渡り、目の前が東出構え。そこから搦め手へ周り、二の丸へと登る道が 付いている。他には県道を50m南へ行くと本丸の神社へと登る石段がある。
城内に車道が付いているが、一般車は通れない。


【左】信州往還(甲州街道)から新府城の眺め
七里岩の断崖の上にあり、こちら側からはまったく人を寄せ付けない。



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