獅子吼城

ししくじょう





獅子吼城の始まりは鎌倉時代末期に遡り、信田小左衛門実正、小太郎実高親子が城主としていたが 、元応2年(1320)に討死したという記録がある。
その後応永年間(1394〜1428)に武田信満の三男江草兵庫助信康が城主としていたが、 25歳で没し、その後今井氏が継いでいる。
今井信是、信元時代には甲斐守護武田信虎と争ったが、結局武田氏の家臣になった。
武田氏滅亡後、天正10年(1582)の徳川、北条氏の対陣の際には獅子吼城に北条勢が入り、 信州峠へ通じる道の押さえとしたが、服部半蔵率いる伊賀組や周辺の武田遺臣たちに攻められ落城したという。
<場所>北巨摩郡須玉町江草
<行き方>須玉役場より県道601号増富方面へ
県道23号に入り孫女橋を渡って塩川東岸の道へ入る  根古屋神社の裏山
<駐車場>根古屋神社に1台、城の東側入り口に1台
<撮影日>2004年3月
<参考文献>『日本城郭大系』8


現在地表示が根古屋神社。 そこから東側へ回る道があるように案内板には書いてあるが 発見できず、神社裏より一直線に主郭目指して登った。(約20分)
急斜面なので体力を消耗したくない人は車道で城の裏側に回り込むと東の入り口があり、 案内板が立っている。
その前に1台分の駐車スペースがあるのでそこから入ると主郭まで5分程。
現在、裏側へ回る車道は地図とは異なっており、新しい道を造っていた。
根古屋神社の前の道は信州に通じる道で小尾街道、穂坂路と呼ばれた古道で、交通の要所であった。 江戸時代には関所も置かれていた。

【左上】北西側斜面  根古屋神社から主郭まで、段郭状に削平された形跡が確認できる。 石積みがあったのか、同じような大きさの石が斜面にゴロゴロあった。
【中上】主郭北下付近  所々に石積みの残骸が確認できる。
【右上】主郭北直下  主郭下付近には平たい石を重ねた石積みが多く見られ、獅子吼城の特徴 となっている。

【左上】主郭下の帯郭  北東下を中心に小郭が取り巻く。
【中上】主郭  周りに土塁がわずかに確認できる。主郭からは北側信州方面から南側若神子方面 まで見通しが利く。
【右上】主郭にある復元のろし台  信濃から甲府に続くのろし台のネットワークの一つとなっていた。

【左上】主郭より南西方面  塩川の谷がひらけ、若神子城のある 須玉の町が広がっているのが見える。
【中上】主郭より北東方面  塩川の上流方面で道は信州峠を越えて信濃、上野へと続く。
【右上】主郭北東下の横堀  外側に土塁が確認でき、この堀底道を通って主郭へと向かう。

【左上】門の跡か  横堀の先端部とその下2カ所に両側が土塁と石積みで造られた遺構があり、 門の跡と思われる。根古屋神社から東側へ回ってきた大手道が主郭へ登りはじめる所。
【中上】門跡から主郭方面  真上を見上げると断崖上が主郭となる。
【右上】下の門跡  大手道がヘアピン状に曲がった所に上と下2カ所門跡があり、こちらが下側の門 となる。ここを入ってすぐ左側(東側)に尾根があり、3つの郭が続いていおり、「駒ヶ入」 という地に出る。

【左上】東斜面の竪堀  大手道の途中と門跡手前に2カ所確認できる。
【中上】東尾根の郭  尾根上に細長い郭があり、最先端部が物見台のように小高くなっているのが わかる。
【右上】「駒ヶ入」より主郭方面  東尾根の奥の山頂が主郭。「駒ヶ入」はちょうど根古屋神社の反対側になる。

【左上】根古屋神社  城の西側、大手口がこの付近だと思われる。
【右上】根古屋神社の大ケヤキ  国の天然記念物指定を受けており、両側に2本ある。
「田樹畑樹(たぎはたぎ)」と呼ばれている。



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