躑躅ヶ崎館

つつじがさきやかた




信玄の父、信虎が守護領であり居館があった石和からここへ永正16年(1519)に移ってきた。 翌年には北方約2.5qに要害城を築き詰城としている。
もともとは現在武田神社のある東、中曲輪だけであったが、徐々に規模が拡大されていき、西曲輪、 北、無名、ご隠居曲輪、武田氏滅亡後も梅翁曲輪が平岩親吉時代(天正10〜18年)に造られた。
一時期勝頼が新府城を築いたときを除いて 家康が甲府城を建てるまでの64年間使われてきた館である。
<場所>甲府市古府中町
<行き方>県道6号武田信号北へ1.5q
<駐車場>突き当たり武田神社右側 20台
<撮影日>2003年9月
<参考文献>『日本城郭大系』8


【左上】大手門  現在正面の南側には本来入口はなく、大手口は東側で馬出し形状になっていた。
【右上】水堀  堀は主郭の南半分が水堀で北半分は空堀。空堀のほうが深さ、幅がある。

【左上】西曲輪から梅翁曲輪に通じる桝形虎口
【右上】西曲輪の中に移築保存されている旧睦沢学校校舎(重要文化財) 中は資料館になっている。

【左上】西曲輪より味噌曲輪に通じる桝形虎口
【右上】虎口より見た味噌曲輪  現在畑になっているが、写真中央の馬出土塁など、北側の曲輪群にも所々土塁が残っている。 また、遠くには詰城の要害城が見える。

【左上】味噌曲輪より東側無名、ご隠居曲輪方面
【右上】稲荷曲輪と呼ばれている主郭の北側に周囲を堀で 囲まれている10m四方程の曲輪登り口 ここには館の鎮守御崎(稲荷)明神を安置していた。

【上】梅翁曲輪南側の水堀  東半分は消失しているが、西半分は残っている。曲輪の中は現在住宅地
【左】主郭の北側の空堀  土塁の底の部分には石積みがなされていたようである。 高さは10m以上はあるだろう。
 

惣堀  館の東側から北側へと続いている。大手口前の馬出のさらに前にこの堀が巡らされている。

館の東にある高台「竜華池」より見た風景
【左上】館の北側 ご隠居曲輪方面  【右上】大手門前付近


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