若神子城

わかみこじょう




若神子城は「古城」または「大城」と呼ばれる遺構を中心に、東に一カ所(正覚寺裏山)「北城」と西に一カ所 (甲川の西)「南城」の三カ所からなる遺構の総称である。
甲斐源氏の祖新羅三郎義光によって築かれたという伝承があり、正覚寺は義光の菩提所と寺記に書かれている。 この伝承は事実なのか定かではないが、信玄の時代には逸見筋(北巨摩郡一帯)の拠点として、 信濃佐久口へ通じる佐久往還、諏訪口へ通じる棒道がここを基点として 走り、武田軍が信濃方面へ遠征のときはここを経由していったであろう。
武田氏滅亡直後の北条氏、徳川氏の戦い(天正壬午の乱)で若神子城は北条方の拠点として、徳川方の拠点となった 新府城と対峙した。
現在、「古城」は「須玉町ふるさと公園」となり、復元されたのろし台が建っている。

<場所>北杜市須玉町若神子
<行き方>国道141号西川橋西詰信号左折
県道28号を約700m ふるさと公園入り口を左折
<駐車場>公園に8台
<撮影日>2003年12月
<参考文献>『日本城郭大系』8



〜古城〜


左 公園内地図
北側(地図左側)が県道から入った駐車場。主郭より北側は公園化されているが、遺構は堀の部分が 保存されている。公園になる以前から耕作地となっていたようで、遺構はかなり以前に破壊されてしまっていた。

左上 公園の中に保存されている薬研堀  天正壬午の乱の時、北条氏直はこの城に本陣を置き、 その際修築もした。発見されたこの堀は薬研堀で、構築途中の段階で放置されたものとの事。
中上 復元されたのろし台  つるべ式のろし台が江戸時代の資料(右上)をもとに復元されている。 そこから先南側が主郭になり、遺構が遺っている部分である。


左 主郭部分  「古城」は西川と甲川に挟まれた尾根上にあり、南端部分に主郭がある。 周りは土塁が残り、尾根が続く北方面以外は急な斜面となって沢へと落ちていく。

左上、中上 主郭南下にある虎口跡  説明板(右上)には大手口と書いてあるが、道が急であるし、 北側に大手が有る方が郭の構成上にも自然に思われるが・・・
自然石を加工して門を付けていたのであろうか、岩には人工的な加工跡が見られる。


〜北城〜
北城は佐久往還(現在の国道141号)の難所、小手指坂から南へ延びる尾根上に東西100m、 南北400mにわたって土塁と空堀によって囲まれた遺構がある。 規模は大きいが郭、構築法に粗雑さがあり、天正壬午の乱の時、北条軍によって応急構築されたもの であろう。
〜現地案内板より〜


左上 古城麓より北城方面  写真は南端部分。尾根の南端からと正覚寺の先、尾根上にあるテニス場入り口から登り口(車道)がある。
右上 北城の北端部分  東側にテニス場から延びる車道が通っている。反対側の西側に帯郭と土塁が 南北に延びている。この北端には尾根を断ち切る堀切とそれに伴う土塁が確認できる。東側には 土塁は無く、帯郭が続いていたが、これは現在の車道部分とのこと。

左上 西側に続く土塁  南北に400m近く続いていて、城の西側を完全に防御している。 この北城に似た縄張りが北方約8qの 旭山砦に見ることができる。
右上 南端部からの眺め  現在の須玉町が一望できる。

左上 正覚寺山門  北城の東側麓、国道141号沿いにある。ここは甲斐源氏の祖である 新羅三郎義光の子義清が若神子に居を構えた時に、正覚寺を建て父義光の菩提寺としたという。 (15世紀以前は現在の高根町に正覚寺はあったが、ここへ移ってきた) ここから若神子城は義光が建てた等義光伝承が広がっていったという説がある。
右上 寺の裏にある義光供養塔  いつ頃の時代のものかは不明。




左 古城南端から見た「南城」
頂上部に遺構が少し残っているらしいが、今回は発見できず。



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