谷戸城

やとじょう




谷戸城は甲斐源氏の祖新羅三郎義光の孫である逸見黒源太清光の居城といわれる。 清光は長男光長を逸見の庄に、次男信義を武田の庄に配したのをはじめ、清光の諸子を 甲斐の要地に配し、甲斐源氏繁栄のもとを築いた。
清光は仁安3年(1168)この城で没した。
<場所>北杜市大泉町谷戸
<行き方>県道608号 泉小学校方面へ入り
そのまま南へ約500m
<駐車場>北側と南側に各10台
<撮影日>2004年12月
<参考文献>『日本城郭大系』8



【左】谷戸城南側  八ヶ岳南麓に位置する小山で、北から南へと徐々に下っている。
写真は谷戸城より1.2q南にある 深草館から撮ったもの。

『谷戸城要図』



【左上】大手口  城の南西部に位置している。現在城全体が公園化されているため、遊歩道がめぐらされているが、 大手道は手を加えられずに残っているようだ。
【中上】大手口「升形」石積み  大手口を入って最初の削平地にわずかに石の列が確認できる。 そこから緩やかな斜面を登ると、主郭の西下にあたる「西二の丸」という案内杭のある削平地にでる。
【右上】西二の丸  主郭下を円形に取り巻く二の郭の西側部分。わずかに土塁が周囲に残る。

【左上】二の丸より主郭虎口  主郭虎口は東側に開いており、二の丸も東側が一番広く周囲の土塁も大きい。
【右上】二の丸土塁  一番大規模な土塁がある部分で、内側には堀跡もわずかに残る。

【左上】主郭内部  周囲は土塁がめぐらされている。比高がほぼ同じ二の丸部分もあわせると かなり広い削平地である。
【中上】「北三の丸」  二の丸下北側にある削平地で、斜面の比較的緩やかな北斜面の防御の拠点 となった部分と思われる。
【右上】北三の丸土塁  この付近の土塁は形が整い過ぎている・・・公園整備のために造られたものか。 南側斜面の帯郭にも造りかけのものがあったので、落下防止の安全のためのもののようだ。

【左上】「東三の丸」  北三の丸とは帯郭で繋がっている。
【中上】城域北東下部  東三の丸へ続く道が通り、東側下部には武者走りが南面まで続いている。
【右上】北面からの眺め  八ヶ岳が正面に見える。見晴らしの利く場所だ。

【左上】東側下部の土塁  城域の北部と南部を結ぶ武者走りに沿って土塁が残る。その外側は 東衣川が南北に流れる断崖となり、天然の堀を形成する。
【中上】東側の竪堀  東三の丸下から東衣川の断崖へ竪堀が確認できる。規模は小さく谷戸城唯一の 竪堀。
【右上】城域北側堀切  城域の北側は八ヶ岳から下ってくる斜面、東西は東衣川と西衣川に挟まれて いる。その東西衣川の間を堀切って、北側からの侵入を防いでいる。駐車場の北側に 土塁と堀が確認できる。

【左上】西衣川  城域西側は西衣川の天然の堀によって防御されている。
【中上】西の出丸  西側の道を挟んで先端部に出丸がある。 崩れているが清光の墓と伝えられる宝篋印塔と祠がある。
【右上】大手より西の丸  西の丸の外側に西衣川が通り、その外側は「町屋」という地名がある。



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