要害城・熊城

ようがいじょう・くまじょう




要害城は信玄の父武田信虎が甲斐国内を統一し、現在の甲府に躑躅ヶ崎館を築いた 翌年永正17年( 1520)に 築かれた城である。居館と詰城をセットとした戦国時代の典型的な城郭形態をとっている。
築城の翌年大永元年、甲斐に駿河今川氏の将福島正成が侵攻してきた。この時、信虎夫人はこの城に 避難し、晴信を生んだという。要害城南麓の積翠寺に 信玄の誕生にまつわる遺跡がある。
また、勝頼時代には長篠・設楽原の戦いの翌年天正4年(1576)、 侵攻される危険を予期した為か 帯那郷(甲府市)の住人を動員して、城の修築を行っている。
武田氏滅亡後も館と共に修築、使用されており、廃されたのは甲府城築城後の慶長5年(1600) の事という記録がある。
熊城は要害城から谷を隔てて南東の尾根上にある遺構で、要害城の一環として弱点を補強する 意味で築かれたものと思われる。


<場所>甲府市上積翠寺町
<行き方>県道31号、躑躅ヶ崎館より約2.5q北上
ホテル要害前が登り口
<駐車場>無し 路駐
<撮影日>2004年3月
<参考文献>『日本城郭大系』8



現在、登り口はホテル要害前と南東麓の根古屋集落側とがある。
根古屋集落の先に深草林道入り口があり、熊城にも行くならこの辺りに路駐がベスト。

〜要害城〜


【左上】物見台らしき所  ホテル要害から登りはじめて3分程の所に 物見台らしき削平地がある。ここから城域の西側の谷から南側まで見渡す事ができる。
【中上】物見台らしき所から甲府市街の眺め  ここからは甲府市街がよく見える。
【右上】躑躅ヶ崎館拡大  中央のグリーン地帯が館である。

【左上】竪土塁  ここから上の第一の虎口部まで続いている。土塁の背後に段郭がある。
【中上】途中にある石積み  虎口部分手前にある石積み  ホテル要害から登りはじめるとすぐに 石積みが見られるが遊歩道を整備した時に造られたものと思われる。当時の物はこの周辺 虎口手前あたりからの石積みであろう。
【右上】第一、第二の門跡付近  登ってきた道と直線上にある第一の門から右へ直角に曲がって第二の門がある。 門跡がここから主郭手前まで、8カ所確認できる。通路、郭、門の配置によって防御を工夫している。

【左上】武者溜  第二の門を入った所にやや広い削平地がある。ここから郭が主郭まで 連続して配置されている。
【中上】不動曲輪  この名称は江戸時代後期に建てられた武田不動尊に由来するものと考えられている。 曲輪の真ん中に高さ2m程の石像がある。
【右上】武田不動尊  恵林寺に信玄が自らをモデルに造らせた武田不動尊像があるが、それが元に なっているのであろうか。見た感じはまったくちがうが・・・

【左上・中上】諏訪水  不動曲輪から北側へ回り込むと大きな帯郭がある。そこに湧水があり、 築城の際諏訪明神に祈誓して得たという事から諏訪水と呼ばれている。傍らに崩壊した諏訪明神の 祠がある。
【右上】第三の門跡  ここには要害城で最も堅固な門が建っていたという。土塁、石積みによって 通路を狭くし、防御と攻撃の拠点として機能した。

【左上】第三の門がある郭  西から東へと高くなる尾根上に郭は配置されており、ここからは 門を通るごとに約10mは上がっていく。
【中上】第四の門跡
【右上】第五の門跡  第四、第五の門跡は郭の南隅に位置する。

【左上】第六の門跡  この門を入ると今までとは違って狭く周りを土塁で囲まれた 桝形状の郭となる。
【中上】第七の門跡
【右上】第八の門跡  主郭に入る門。

【左上】主郭 西より東方面  西側が大手口。外から見たよりもかなり広く、22*73mの長方形をしており、 周りは土塁で囲まれている。
【中上】武田信玄誕生地の碑  主郭内に石碑が建っている。
【右上】主郭 東より西方面  東側が搦手口となる。

【左上】主郭搦手口を出た所の竪堀  搦手にある竪堀には石垣で側面を補強してあるものが、2条あり 珍しいものだ。
【中上】2条目の竪堀  上から見たところ。
【右上】2条目の竪堀  下から見たところ。写真だと見えにくいが周りは石垣となっている。

【左上】城域搦手部の土塁  土塁の向こう側に堀切があり、城域は終わる。
【中上】搦手部の郭下の石積み  周りを石積みで囲んでおり土留めであろう。搦手部、東の尾根からの 守りは非常に堅固で手の込んだ造りになっている。
【右上】熊城の眺め  東尾根を少し行くと、谷を挟んで向こうに支城の熊城がある尾根が見える。



〜熊城〜



熊城は谷を挟んで要害城の南東尾根上にある支城。
要害城の搦手から行くには登山道をそのまま進む。10分程行くと三叉路になるので、 右方向深草方面の山の中腹を行く道を進む。しばらく行くと尾根を越える場所があり、土管のゴミ入れが立っているのが 目印。その尾根上を南へ獣道?を下って行くと10分程で大きな堀切が現れ、そこからが城域。

【左】写真中央の尾根上が熊城。左手前が要害城の裾野。

【左上】城域一番背後の堀切  要害城から尾根を下って来るとはじめに見える堀切。かなり大規模な ものである。
【中上】堀切から見た要害城
【右上】主郭背後の堀切  背後には2条の堀切がある。前の物と規模はほとんど同じ。向こう側が 主郭となる。

【左上】堀切にある土橋  主郭背後の堀切の底の部分に土橋がついている。
【中上・右上】主郭内部の土塁、石垣  搦手になる東方面と南斜面には土塁が確認できる。 熊城は狭い尾根上に郭を配しており、主郭はそれほど大きいものではない。

【左上】主郭より二の郭  尾根は急な傾斜となっており、二の郭はかなり狭い。
また、熊城は整備されていない為、足場も悪く夏場は草木で郭を確認するのも不可能ではないかと思う。
【中上・右上】主郭南側土塁下の石積み  土留めの石積みが南斜面で確認できる。

【左上】三の郭  熊城で一番大きい郭。南側には土塁が続いており、南側の防御を意識しているのが わかる。反対の西側は要害山方面。
【中上】三の郭土塁  西側虎口部分で切れている。
【右上】五の郭より上部方面  主郭から連続している郭は六の郭までだが、その下方にも 郭、堀切が確認できる。

【左上】六の郭より下方の堀切  この下に2つの郭が確認できる。熊城の堀切は保存状態が良いのか どれも急で深い。
【中上】堀切から見た要害城  だいぶ下ってきたのが要害城を見るとわかる。
【右上】積翠寺町の眺め  熊城の尾根を主郭から10分程下ってくると、見通しが利くようになる。

【左上・中上】熊城麓部分の郭、石積み  ここの部分は当時のものか判らない。耕作地だった 可能性もある。
【右上】要害城・熊城入り口部  根古屋集落から登ってくるとここに来る。ここから左の道を登ると 要害城。この道をまっすぐ行き、左側にある空き地から尾根を登っていくと熊城。

【左上】熊城登り口部  上の写真の案内板をまっすぐ行くとここに来る。この先空き地が左側にあり、 正面の山を登って行くと約20〜30分程で主郭。
【中上】根古屋から見た熊城  要害城の南東麓にある根古屋集落は元々城の警護にあたった武士の館が 存在していた。また、要害城と熊城との間に水の手があり、その管理にも当たっていたという。
【右上】根古屋から見た要害城  当時の大手道はここから通っていたのであろう。


【左】瑞岩寺  根古屋の入り口にあたる所にある。ここから積翠寺が西方に見える。



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