円光院・信玄の墓
 えんこういん・しんげんのはか

山梨県甲府市岩窪町


〜円光院〜


信玄が定めた甲府五山の一つで、正室三条夫人の墓がある。
三条夫人は京都の公家である三条公頼(きんより)の次女。 今川義元の媒酌で天文5年(1536)16歳の時 信玄と結婚した。そして義信、信親(竜宝(りゅうほう))、 信之、黄梅院(おうばいいん)(北条氏政夫人)、見性院(けんしょういん)(穴山信君夫人)、 を生んだ。元亀元年(1570)三条夫人は50歳で逝去。
三条夫人の妹は本願寺門主 光佐(顕如(けんにょ))夫人であり、一向宗の勢力を利用し加賀、越中で一向一揆を起こさせる など上杉謙信の背後を脅かした。
また、信玄が死去した時、馬場美濃守に遺命し、刀八毘沙門天、勝軍地蔵の陣中守護本尊や愛用の茶器、茶釜、 武田家源氏系図を奉納した。



甲府五山とは・・・京、鎌倉の五山制度に習って信玄が定めた寺院。
もともとはインド、中国の制度で、禅宗の保護と統制の為に格式の高い五寺を定めた事がはじめ。 室町時代にはその下に十刹と諸山が選ばれた。
甲府五山は長禅寺東光寺能成寺法泉寺、円光院の五つの臨済宗寺院。

行き方県道31号護国神社入口信号を県道119号へ入る  1q程行くとT字路となりその前
駐車場境内下 10台以上
撮影日2003年9月
参考文献秋山敬『武田信玄を歩く』吉川弘文館 2003年



〜信玄の墓(火葬塚)〜


ここは土屋氏の屋敷跡で信玄の死後、ここの邸内で荼毘に附し、恵林寺において葬礼を行ったという。
それから200年後の江戸時代安永8年(1779)、甲府代官、中井清太夫が発掘し、石棺を見つけた。 その銘に「法性院機山信玄大居士・・・」とあった為、もとに戻し幕府に届けて信玄の墓と定めた。
そこに武田家の旧家臣たちが大石碑を建てて聖域とした。〔現地解説板より〕

現地では信玄の墓となっているが、厳密には火葬塚と言った方が正しいであろう。 恵林寺において葬儀を行ったということは、遺骨はそちらに持っていったであろうから。
200年後の石棺の話はどうなのか・・・石棺だけだったのか?
信玄の火葬塚は南信の阿智村長岳寺にもあるが、 他にもいろいろな伝説があるからどれが本当なのかは 分からない。
それだけ内密にされていたからいろいろな伝説が生まれたのであろう。


行き方円光院の手前を青年の家方面に右折し100m 青年の家前
駐車場青年の家駐車場を利用
撮影日2003年9月
参考文献秋山敬『武田信玄を歩く』吉川弘文館 2003年