甲斐善光寺
 かいぜんこうじ

山梨県甲府市善光寺



ここは信玄が川中島の合戦で善光寺が兵火にかかるのを心配して (政治的な意図もあるだろうが)、 本尊、寺宝、梵鐘に至るまでほとんどの物をここに移して、永禄二年(1559)板垣の郷に建立したものである。
二年後に第四回川中島の激戦が行われることになる。
すべてが完成したのは元亀3年(1572)であり、信玄は門前町をそのまま移したという。
その後江戸時代に入っても歴代国主の保護を受け大伽藍を有したが、宝暦四年に近隣の失火により 類焼、ほとんどの建築物が消えてしまった。そして寛政8年、三十余年を費やして金堂が完成、これが 現在の伽藍である。
金堂、山門共周りの寺院とは比較にならないほどの大建築物で、金堂は日本有数のもの。

本尊の阿弥陀如来は武田氏滅亡後、 織田信長により岐阜に持ち帰られ、本能寺の変の後は尾張、遠江の寺に 移されその後ここにいったん戻された。慶長2年(1597)豊臣秀吉の命で京都方広寺に移され、 その翌年信濃善光寺に戻された。約40年間周り巡ったのは、やはり善光寺の力の利用を考えての事だろう。
甲斐善光寺は前立仏であった阿弥陀如来銅像と両脇侍像を本尊とした。


【左】金堂(本堂)
桁行約38m、梁間約24m、高さ約18m
信濃善光寺と比較して桁行は16m程短いが、高さは約5m高い。(重要文化財)


【左】山門 
山門から南下している道が参道。昔の門前町当時の面影は無い。(重要文化財)


行き方県道6号善光寺北信号を南へ
または国道411号善光寺入口信号を北へ
駐車場県道109号沿い(本堂西側)に25台
撮影日2003年9月
参考文献秋山敬『武田信玄を歩く』吉川弘文館 2003年