建福寺
けんぷくじ

長野県伊那市高遠町西高遠



ここには武田勝頼の母の墓がある。母は諏訪頼重の女で、信玄によって 諏訪氏が滅ぼされた時14歳で信玄の側室となった。
19歳の時に勝頼を産み、信玄は諏訪氏族懐柔策として勝頼に諏訪氏の名跡を継がせ、諏訪四郎勝頼と名乗らせ伊那郡代として 高遠城に居住させた。
母の名は由布姫、湖衣姫、雪姫、諏訪御料人などといわれているが、はっきりしたことはわからない。
墓所についても諸説あるが、高遠城主となった勝頼が母を高遠に呼び寄せ、この地で病没したのでここに葬ったと思われる。
〔現地解説板より〕
【上】本堂  安元2年(1176)文覚上人が開創し、天正年間武田勝頼が中興開山とした。その後、歴代の 高遠城主の信仰が厚く、武田、織田、保科氏から与えられた古文書を多く所蔵している。〔現地解説板より〕

【左上・右上】勝頼母の墓  本堂から左側に回り込んだ奥にある。 同じ場所に後の高遠城主、保科正直と子正之の養父保科正光の墓がある。

【左上】建福寺の石仏群  江戸時代に「高遠の石工」は各地で活躍したが、建福寺には 守屋貞治の作品50体以上、その他名工の作品が安置されているという。
【右上】五郎山の眺め  建福寺の正面に見える。


行き方国道361号、本町バス停 より北へ入る
駐車場商店街駐車場利用 10台以上
撮影日2006年2月