古長禅寺
 こちょうぜんじ

山梨県南アルプス市鮎沢



正和5年(1316)真言宗寺院を夢窓疏石(むそうそせき)が再興し、現在臨済宗寺院となっている。
信玄の母である大井夫人は当時の住職岐秀元伯(ぎしゅうげんぱく)に深く帰依し、幼時の信玄も 学問の師として甲府から通ったという。 天文21年(1552)母の逝去にあたって、この地に葬り、墓が現在も残る。
信玄は後に甲府に長禅寺を 創建して岐秀を迎え、ここは古長禅寺と称するように なった。

【左上】本堂  大正13年の火災で伽藍は焼失したが、境内は県史跡となっている。
【右上】大井夫人の墓  本堂裏手にある。ちなみに長禅寺にも墓がある。
大井夫人は明応6年(1497)甲斐西郡の雄、 大井信達の長女として生まれた。
当時、信達は武田信虎と争っていたが、信達を支援していた 駿河の今川氏親が信虎と講和し、信達も和を結ぶ。それにより、夫人は信虎のもとに嫁ぎ、 嫡子晴信(信玄)、信繁、信廉、今川義元夫人などの生母となった。信虎の駿河退隠には 従わず、除髪して躑躅ヶ崎館 北の曲輪に住んだ。



【左】ビャクシンの巨樹
古長禅寺の南側にあり、開山当時四天王をかたどって植樹されたという。 通称「夢窓国師お手植えの四つビャクシン」とよばれる。樹齢約700年。



行き方国道52号甲西バイパス甲西中学校東信号を西へ。 甲西中学校前を右折し約600m先を左折
駐車場10台
撮影日2004年8月
参考文献秋山敬『武田信玄を歩く』吉川弘文館 2003年