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![]() 江戸時代には大泉寺とともに 甲斐曹洞宗の大元として格式があり、県内800余の末寺を総括する。 相模小田原最乗寺14世雲岫宗竜(うんしゅうそうりゅう)を開祖、塩田長者降矢対馬守を開基として 、寛正元年(1460)開山した。 武田信昌が文明19年(1487)寺領を寄進して以来、勝頼に至る5代の庇護を受け、武田氏滅亡後は 徳川氏の保護を受けた。 信玄は弘治2年(1556)祖母崇昌院殿(信縄妻)の菩提を弔う為に10貫文の地を寄進し、 中興開基に据えるとともに、彼女の法号を広厳院殿に改めた。 武田氏滅亡時の住職、拈橋ちょう(人偏に長)因(ねんきょうちょういん)が、徳川家康の命により勝頼らの菩提供養の為 景徳院を創建した。 ![]() 【左上】本堂 信玄は永禄3年(1560)、国中地域161社に対して2社が組になって2日ずつ八幡社に勤番 するよう命ずるなど、国中地域の神社統制の中心的役割を与えている。 【左】鐘楼 江戸時代の建築。 寺宝に武田家、徳川家の書状36点と嘉暦2年(1327)銘のある梵鐘があり、 共に、県文化財に指定されている。
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