光沢寺
 こうたくじ

山梨県甲府市相生



浄土真宗の光沢寺は現在と同じように、移転前にも 一蓮寺北西に接した現在の 甲府城の地の西側にあった。
天文年間(1532〜55)に、鎌倉長延寺の住持実了師慶(じつりょうしけい)が、 甲斐に来て信玄に仕え、寺地を与えられて甲府に長延寺を創建したのが、光沢寺の前身である。
師慶は伽衆として信玄に近侍するとともに、他国への使者としても活躍した。 『甲陽軍鑑』では、大坂、伊勢長島、越中など主として一向宗の盛んな地域への使者を担当した という。
現在地への移転は文禄年間(1592〜96)というが、信玄の孫にあたる 二世顕了道快(けんりょうどうかい)は、 武田氏遺臣の大久保長安の不正事件に加担したとして、慶長18年(1613)八丈島に流罪となった。
寺の存続は許されたが、このとき現寺号に改めたという。
【上】経蔵  元禄末期に建立されたものという。東本願寺甲府別院光沢寺となっており、 経蔵ある墓地の道を挟んで北側に近代的な建物の御堂がある。


行き方国道358号相生交番前信号東へ入りすぐ
駐車場大駐車場有り
撮影日2005年10月
参考文献秋山敬『武田信玄を歩く』吉川弘文館 2003年