高野山
 こうやさん

和歌山県伊都郡高野町



高野山は弘仁7年(816)に空海によって開創された、真言密教の総本山である。 海抜約1000mの山上に広がる盆地に、伽藍と奥の院を中心にして117もの寺が あり、現在は一つの町となっている。
甲斐武田氏とのゆかりの深い寺もいくつかある。


【左】金剛峯寺(こんごうぶじ)
真言宗総本山で山上のほぼ中央に位置する。もともと 高野山一山の総称だったが、明治元年に青厳寺の寺号を金剛峯寺と改めた。


【左上】大門  高野山盆地の西端に位置し、西の入口の正門である。現在の門は宝永2年(1705) に再建されたもの。
【右上】根本大塔  高さ48.5mの巨大な塔。現在の塔は昭和9年に再建されたもの。 高野山全体の中心部で、奥の院と共に高野山の一大浄域。


〜櫻池院(ようちいん)、成慶院(せいけいいん)〜


現在、櫻池院によって管理されている成慶院は、甲斐源氏とのゆかりが深く、永禄3年(1560) に、武田信玄と宿坊契約を結び、武田家の菩提寺となっている。
有名な武田信玄公寿像、武田二十四将図など武田家ゆかりの品を多数蔵している。
奥の院には武田信玄、勝頼の供養塔があり、それを管理している寺でもある。
各寺院の寺宝は「霊宝館」に管理されており、運が良ければ信玄、勝頼の画像も そこで見られる。

【左】櫻池院  大門から約500m程入った所にある。
現在宿坊となっており、一般の人も宿泊できる。歴史は古く、開基は白河天皇 第四皇子覚法親王。成慶院は道を挟んで反対側にある。


【左上・右上】成慶院  現在は小さい規模で、本堂は多目的ホールになっている。 風情はまったくない。割菱紋が屋根に見えるのが救いか。 また、防州大内家の菩提寺でもある。


〜持明院〜

町の中央、金剛峯寺より少し奥の院方向へ行った所にある。
甲斐武田氏歴代当主の帰依を受けたことから、武田家ゆかりの品を多数所蔵。 一時、武田信虎や、京極高次らが仮寓したこともある。

【左上】持明院入口  【右上】境内と庫裏
若き日の信玄画像として有名な武田晴信画像を所蔵しており、 勝頼が自分の死後、甲斐武田氏の宿坊であった高野山引導院 に納めるよう、慈眼寺(山梨県一宮町)の尊長に託した画像だという。明治初年に 合寺して持明院となる。


〜無量光院〜





金剛峯寺の東隣にある。
武田信玄の七男信清が滞在したという寺。
この寺は織田信長とのゆかりが深く、供養塔を管理しており、他にも池田、浅野、毛利、丹羽、 福島氏などの帰依を受けている。



〜奥の院〜


奥の院の最深部には弘法大師御廟があり、信仰の中心聖地である。
入口の「一の橋」から「奥の院」 まで、約1.9qの参道が続き、その周囲には杉の大木が生い茂り、 20万基を越えるあらゆる時代、階層の人たちの墓が並んでいる。
特に戦国期〜江戸時代の大名の墓(供養塔)が数多くあり、5mを越すような巨大な五輪塔が 建ち並び、その景観は圧巻である。

【左上】奥の院参道  【中上】加賀前田家墓所  【右上】豊臣秀吉墓所



【左】武田信玄・勝頼の墓(供養塔)
他の大名の墓所に比べて、比較的小さい、ごく普通の五輪塔である。向かって左が信玄、右が勝頼 供養塔。一の橋から700m程参道を行った右側にあり、案内板もあるのですぐわかる。
和歌山県指定文化財になっている。
裏側には馬場美濃守墓所の案内杭が立っているが、どれが墓なのか特定できず・・・

【左】奥の院 弘法大師御廟
根本大塔などがある「伽藍」と「奥の院」が中心となって高野山の霊場は形成されている。

九度山から車で山の中を1時間登った所に、こんな開けた町があろうとは想像がつかなかった。 平日の観光客も多く、土日は混雑するであろう。無料駐車場が所々にあるので、 広い区域を一日でまわることができた。
世界遺産にも登録された為、これからさらに賑やかになっていくだろう。




行き方国道24号より九度山町経由、 国道370,480号で高野町へ
駐車場各所に大駐車場有り
撮影日2004年9月