久遠寺
 くおんじ

山梨県南巨摩郡身延町身延




日蓮宗総本山で、文永11年(1274)日蓮が 波木井実長 の招きにより身延に草庵を構えたのにはじまり、11世日朝が伽藍を 現在地に移してから大いに発展したという。

信玄は永禄元年(1558)12月15日当寺の山内および町中での七ヶ条の禁制を発し、天文19年 (1550)自署を 加えた法華経を奉納しているが、日蓮の命日である10月13日の法要「お会式」に集まる信者に 対しても関銭免除などの優遇措置を採っていた。

『甲陽軍鑑』の記事によると織田信長の比叡山焼き討ち後の元亀3年(1572)正月21日、信玄は身延山を他に移して この地に延暦寺を再興することを計画し、それを寺に伝えて協力を求めたものの、全山の反対によってあきらめたという。
同年9月11日の当山宛て書状で、4月の長尾輝虎(上杉謙信)撤退は 久遠寺の祈祷のおかげと謝意を述べ、わざわざ移転しないということに触れていることからすると、 再興計画はある程度事実を伝えていると思える。〔秋山敬『武田信玄を歩く』〕

【左上】本堂  【左下】仏殿・客殿
これらの巨大建築群の付近は明治8年(1875)の火災で、ほとんどを失っており、 その後の再建によるものである。


行き方国道52号より県道804号または805号に入る
駐車場大駐車場有り(有料)
撮影日2006年1月
参考文献秋山敬『武田信玄を歩く』吉川弘文館 2003年